2018年8月18日(土)

鑑真招いた「来縁」の袈裟 唐招提寺(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
関西
2018/6/6 11:30
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 奈良市の世界遺産、唐招提寺を創建した鑑真和上。唐の高僧だった鑑真はなぜ困難を承知で日本行きを決意したのか。この謎を解くカギは8世紀前半に日本が唐に寄進したとされる1千枚の袈裟(けさ)にある。袈裟には「共に来縁を結ばん」という日本の熱いメッセージが記されていた。

復元した袈裟をまとい金堂を歩く西山長老(奈良市)

復元した袈裟をまとい金堂を歩く西山長老(奈良市)

 鑑真は743年から753年にかけて合計6回、唐から日本への渡海に挑んだ。5回目で視力を失いながらも6回目で薩摩に上陸し、平城京にたどり着いた。仏法が乱れていた日本に戒律を伝え、授戒制度を整えた。その後新田部(にいたべ)親王の旧宅の地が与えられ唐招提寺を創建。多くの弟子を育成し、763年に西に向かって座禅をしたまま永遠の眠りについたという。

 鑑真が日本行きを決めた理由は何なのか。遣唐使の普照、栄叡(ようえい)という2人の日本人僧侶が強く説得した事実はよく語られる。だが、日本から贈られた袈裟の句を読み、決意を固めたことはあまり知られていない。

長屋王が唐に贈る

 奈良時代後期の貴族、淡海三船(おうみのみふね)が、鑑真の弟子の思託が著した伝記などを基に書いた伝記「唐大和上東征伝」。その中にこんな記述がある。「(日本から贈られた)袈裟の縁には四句を刺しゅうして『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』と記してあった。この古事より日本は仏教が盛んで仏縁のある国と感じ(中略)招きに応じる決意を表した」。四句は「国は異なるが天は同じ。袈裟を僧侶に寄進し縁を結ぼう」という意味だ。

 この袈裟を唐に1千枚贈ったのが天武天皇の孫、長屋王だ。長屋王は大規模な写経事業を2度主宰するなど仏教に深く帰依した。袈裟は717年の第9次遣唐使に託されたと見られる。鑑真はそのうちの1枚を手にし、日本のメッセージを読み取っていたのだ。

 「天台宗の祖師、慧思(えし)が日本の王子(聖徳太子)に生まれ変わったとする伝承が当時の唐にあったことも決断につながった」というのは日本古代史が専門の奈良大学名誉教授の東野治之氏。「慧思は鑑真の学統につながる人。尊敬する人と縁のある日本で仏教を広めなければという使命感もあっただろう」と指摘する。

袈裟には「山川異域」「風月同天」「寄諸仏子」「共結来縁」の句がある

袈裟には「山川異域」「風月同天」「寄諸仏子」「共結来縁」の句がある

中国の寺に恩返し

 唐招提寺は昨秋から句を縫い込んだ袈裟を復元し、中国に約200枚寄進するプロジェクトを開始した。贈り先は鑑真が布教の拠点にしていた江蘇省揚州市の大明寺。昨年9月に西山明彦(みょうげん)長老が同寺を訪問し、まず約20枚を奉納した。西山長老は「鑑真和上が伝えた戒律により、日本仏教が恩恵を受けた。お返しの気持ちを込めた」と話す。

 袈裟はどれも縦約1.1メートル、横が2メートル程度。色は地味な茶色の壊色(えしき)で、何枚もの国産の麻生地を縫い合わせている。復元にあたっては正倉院に伝わる七条袈裟などを参考にした。

 大明寺への袈裟の寄進は今年9月にも約20枚を予定。2021年3月末までにさらに約120枚を贈る計画だ。残り約40枚については唐招提寺と同じ律宗の浄業寺(陝西省西安市)などに一部を既に奉納したほか、ゆかりの中国寺院や関連団体にも贈る見通しだ。

 「仏教の教えは国境を越える。今回の交流が日中の相互理解、友好のしるしになってほしい」。金堂を歩きながら、時折天を仰ぐ西山長老。「風月同天」と記した平城京の都人に思いをはせているようだった。

文 大阪社会部 浜部貴司

写真 目良友樹

交通・ガイド》近鉄西ノ京駅から徒歩約10分。南大門から北に向かって国宝の金堂、講堂などが整然と並ぶ。金堂の正面にはエンタシスと呼ばれるわずかな膨らみを持つ8本の列柱があり、古代ギリシャの影響も感じさせる。国宝の鑑真和上坐像は北側の御影堂にある。坐像は基本的に非公開だが、6月5~7日は開山忌舎利会に合わせて公開されている。

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