東京以外の視点、大事に モンベル会長 辰野勇さん(もっと関西)
私のかんさい

2018/5/29 17:00
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 ■アウトドア用品のモンベル(大阪市)の辰野勇会長(70)は堺市生まれ。実家はすし屋で8人兄弟の末っ子。高校生の時に、オーストリアの登山家、ハインリッヒ・ハラーがスイスのアイガー北壁初登はんを記録した「白い蜘蛛(くも)」に夢中になり、登山家を志した。

 たつの・いさむ 1947年堺市生まれ。大阪府立和泉高卒。高校時代に読んだ本に感銘を受けて登山家に。69年当時世界最年少でアイガー北壁の登はんに成功。75年モンベル設立。アウトドア用品の国内最大手に育てた。

たつの・いさむ 1947年堺市生まれ。大阪府立和泉高卒。高校時代に読んだ本に感銘を受けて登山家に。69年当時世界最年少でアイガー北壁の登はんに成功。75年モンベル設立。アウトドア用品の国内最大手に育てた。

大学で4年過ごすのは時間がもったいなかった。親に「信州大学を受験しに行く」とうそをつき、友人と2人で冬の西穂高岳に登りに行った。日焼けした顔で「入学試験がうまくいかなかったから就職していいか」と相談したら、すんなり私の希望を認めてくれた。就職したスポーツ用品店では販売員として働き、休日は岩山でクライミングの技術を磨いた。

21歳の時に念願のアイガー北壁に挑戦。旅費の節約のため、横浜から旧ソ連のナホトカまで3日間船に乗り、シベリア鉄道で2週間かけてウィーンに向かった。当時は現在ほど市販の道具がなく、ハーネスやアイスアックスなどは自作だった。パートナーが雪崩に巻き込まれるなど何度も危機に直面したが、世界最年少で登はんに成功した。

帰国後は商社の繊維部門に勤務。仕事を通じて米デュポン社の特殊繊維を知った。取引先のスポーツ用品メーカーにこの素材を使った商品企画を持ち込むが採用されず、独立を決意する。

28歳の誕生日に退職し、翌日の1975年8月1日にモンベルを設立した。船出となった大阪市内の雑居ビルのオフィスはわずか7坪(約23平方メートル)。従業員は自分1人で、机と電話が置かれているだけだった。最初は布団工場で作った寝袋のサンプルを持って売り歩いたが、さっぱり売れない。

登山家の中谷三次氏(左)をパートナーに多くの山に登った

登山家の中谷三次氏(左)をパートナーに多くの山に登った

大きな転機は商社時代からつながりがあったデュポン社の新素材「ダクロン・ホロフィル」と出合ったこと。マカロニのような中空状のポリエステル繊維で、しなやかで小さい。保温性が高く、寝袋の中綿としては画期的だった。ダクロンで作った寝袋は軽量で温かく、爆発的に売れた。その後も合成ゴムでコーティングした雨具や、アクリル素材を使ったニットなど、先端素材を使った新しいアウトドア用品を次々と生み出した。

■マーケティングに頼らず、アルバイトを含む全従業員からアイデアを集めてボトムアップのものづくりを進める。年功序列や終身雇用を貫き、本社の所在地は大阪にこだわる。

モンベルのものづくりは自分たちが本当に欲しい、必要だと思えるものだけ。新商品発売は年2回で、それに合わせた企画会議では年約4千のアイデアが2300人の従業員から集まる。社員はアウトドア好きばかりで自分たちが消費者という感覚だ。そのため2週間以上の長期休暇を取りやすい職場にしている。

会社の規模が大きくなったが、本社を東京に移すつもりはない。東京以外の視点を大事にしたいからだ。東京にいると、どうしても東京の感覚で全国を見てしまう。我々にとって東京は大きな消費地だが、実際に消費者が商品を使うのは山や川のある地方だ。

 ■地方自治体と連携し、アウトドアスポーツを通じた地域の活性化を目指す。アウトドア目的のインバウンド(訪日外国人)が増え、受け入れ体制の整備が必要と指摘する。

自然の中で自転車やカヌー、トレッキングを楽しめるコースを整備する「ジャパンエコトラック」事業を進めている。関西では京都府北側や琵琶湖の東側などにルートを設けた。エコツーリズムを広げていきたい。

関西を訪れる外国人観光客にも登山道を歩くなど自然を楽しむ人が増えている。空港からの交通アクセスの改善や標識の外国語対応、清潔なトイレの整備などを進めて快適性を高める努力が必要だ。こうしたインフラ整備は自治体の負担が大きいため、長野県のように企業版ふるさと納税を充てるのはどうか。

(聞き手は大阪経済部 阿曽村雄太)

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