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温故知新 W杯名勝負に見る超一流選手の存在感

サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の開幕(6月14日)が近づいてきた。出場各チームは本大会に臨む23人の名前を次々に発表し臨戦態勢を整えている。日本代表もガーナとの30日の壮行試合(日産スタジアム)を終えると、翌31日に大会に登録する23人の最終メンバーを明らかにする。月が変われば世界のサッカーシーンはW杯モードに一気に入っていくのだろう。

私の方は実は一足先にW杯へのスイッチが入ってしまった。というのも、このところNHKの仕事で、W杯の過去の名勝負を紹介するテレビ番組の案内役として収録を続けていたからだ。放送はロシア大会直前になるが、ぜひともご覧いただきたい。オールドファンならずとも必見、感涙の番組になっていると自信を持っていえる。

ベッケンバウアー、クライフ…色あせない名手たち

放送されるのは、1970年メキシコ大会準決勝の西ドイツ(当時)対イタリア、74年西ドイツ大会決勝の西ドイツ対オランダ、78年アルゼンチン大会決勝のアルゼンチン対オランダ、そして82年スペイン大会準決勝のフランス対西ドイツの4カードである。

どのカードも歴史に残る名勝負ばかり。日本代表時代に同じ釜のメシを食べた木村和司さんらと解説を務めたが、普段は辛口の木村さんも「すごいなあ」を連発。西ドイツの「皇帝」と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアー、「空飛ぶオランダ人」と呼ばれた革命児ヨハン・クライフ、フランスの「将軍」ミシェル・プラティニら名手のプレーは今見てもまったく色あせていない。

もちろん、戦術その他に時代の移ろいは感じる。70年大会の西ドイツとイタリアの延長戦の死闘(4-3でイタリアの勝利)は試合中に肩を脱臼したベッケンバウアーが包帯でぐるぐる巻きに固定して戦い続けた勇姿が語り草だが、両チームの戦い方はフルサイズのマンツーマンで互いに付き合い、マークする選手が動くと付いている選手も一緒になって動くのでシステムとかはあまり関係がない。ボールを持つ選手とマークに付く選手は走っているけれど、周りのプレーヤーはそれを歩きながら見ている感じ。メキシコの高地と酷暑が選手にそういう戦いを強いた部分はかなりあったにしても……。

それが74年大会になると劇的に変化する。オランダが後に「トータルフットボール」と呼ばれる全員攻撃、全員守備のシステマチックなプレーモデルを持ち込んだことが大きな動力になった。そんな中でクライフの自由自在、奔放な動きは鮮烈で、ベッケンバウアーよりもクライフこそ「リベロ」(イタリア語で自由の意味)ではないかと今回思ったほどだった。

革新的オランダに負けない西ドイツの技量

そんなオランダに対して西ドイツがピッチを広めに応戦したのはさすがだった。この大会のオランダのコンパクトに陣形を圧縮するグループ戦術は革新的で、誰も味わったことがないから、あのブラジルでさえオランダの強烈なプレスとそれに連動したオフサイドトラップに沈められた。

ところが西ドイツはそのプレスにたじろがない個性と技量の持ち主をそろえていた。その厳しい局面のバトルに誰も負けないのだ。ベルティ・フォクツのようにクライフのマンマークを命じられ、闘犬のように食い下がりながら、突如ゴール前に現れてシュートを放つDFもいる。このあたりの「言われた以上のこと」を「タイムリー」に仕掛けてくる西ドイツの選手の戦術理解力は完全に今につながるものだろう。

ちなみにフォクツは70年大会のイタリア戦でも相手の得点源のルイジ・リーバを密着マークしている。ゾーンでシステマチックに守ることが専らになった現代サッカーでは、ほとんど見ることのできないタイプのDFといえるのかもしれない。

ベッケンバウアー(左)は監督としても優勝カップを手にした

ベッケンバウアーの優雅さも群を抜いている。今でこそ足のアウトサイドを使ったキックは普及しているが、70年大会と74年大会を見返すと、アウトサイドとチップキックを使ったパスはどちらの大会にも出ていたベッケンバウアーのほぼ専売であることが再確認できた。

今、足のアウトサイドを使ってパスをすることが当たり前になったのは70年のW杯くらいから世界中にライブで中継されるようになり、スーパースターのプレーをまねる子供が増えたことが一番の理由ではなかろうか。W杯で映像の影響力とか伝播する力が爆発的に高まったのも、このあたりからなのだろう。

フランスの中盤が見せたパスワーク

アルゼンチンが地元優勝を飾った78年大会は、オランダの武器だったオフサイドトラップをどこも使えるようになっていた。アルゼンチンがオランダに対してオフサイドトラップを仕掛けるようになり、その逆を取ってオランダがゴールを上げるという場面も出てくる。浅い守備ラインを崩すコンビネーションにアルゼンチンは彼らの持ち味である高速ドリブルと壁パスを多用するという工夫の跡もうかがえる。

82年大会は2次リーグのイタリア対ブラジルの死闘というサッカー史にとどろく名勝負があるが、準決勝のフランスと西ドイツの延長戦にもつれ込む熱戦も息をのむ場面の連続だった。W杯史上初のPK戦を制したのは西ドイツだが、やはり目を奪われるのはプラティニ、ジャン・ティガナ、アラン・ジレスの流れるような中盤のパスワークから生まれるフランスの攻撃力だった。3人目の動きを入れながらの崩しは現代サッカーのそれと原理的にまったく変わらない。

また、82年大会はカバーリングのエリアが少し広くなった様子も見受けられる。オランダが持ち込んだ集中守備に対する耐性ができて、ラインコントロールを打ち破る具体的な方法も見つかった。その結果、うかつにラインを上げるのはリスクが大きい。そういう警戒感からラインの上げ下げが慎重になったのだろう。

世界から取り残された日本のサッカー

70年から82年まで順番に名勝負を見ていくと、82年大会はボール周辺だけでなく、ピッチ上の全員が常に動いて細かくポジションを変えるようになっていて、動きの質と量が大きく向上していることも見て取れた。おそらく、70年から82年にかけては、サッカーが大きく進化した「黄金時代」だったのだろう。

裏返すと、その12年間は、日本と世界の差が最も広がった時代といえるのかもしれない。68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、日本サッカーは杉山隆一さんや釜本邦茂さんら実力者の退潮とともにアジアでも勝てなくなった。この間、世界のサッカーは1対1の戦いから11対11の戦い、スピードもウオーキングからジョギング、ランニングへとアップするかのように、ぐんぐんと前に進んでいった。その進歩に日本は大きく取り残された。82年大会をスペインで日本代表のキャンプを張りながら現地で見て回った木村さんは「これは追いつけん」と当時思ったそうだ。

ちなみに、そんな日本が次の86年メキシコ大会のアジア最終予選では韓国と出場権を懸けて最後の最後まで争うことができた。私はその背景には日本で79年ワールドユースを開催できたことが大きかったと思っている。そこで世界と戦い、優勝したアルゼンチンのマラドーナを見た、同じ空気を吸ったというメンバー(水沼貴史さんや柱谷幸一さんら)が大いに刺激を受け、フル代表に成長してチームを底上げしたのだと思っている。育成をやり続け、育成年代から世界に送り込む。今も昔もチームを強くするにはこれ以外の道はない。

昔の試合映像を見ていると、いろいろな変化に気づいてそれも楽しい。例えば、スタジアムのピッチを取り巻く広告看板の数は大会を重ねるごとにどんどん増えていく。そこにビジネスモデルの変化を見て取れる。キヤノンや富士フイルムといった日本の企業の名がそこにあるのが誇らしい。

今と違う試合風景に懐かしさも

ルールも少しずつ変わっている。GKがバックパスを手で扱うのを見ると逆に新鮮に感じてしまう。かといって、リードするチームが露骨な時間稼ぎをバックパスを使ってするわけでもない。プレーの尊重という本質を理解してプレーしていたのだろう。

70年大会で初めて導入された警告・退場システムは選手に示されるカードの大きさに笑った。胸のポケットからはみ出るくらいに大きいのだ。キャプテンマークも70年大会はビニールテープを腕に巻いているかのごとくで、それが74年になると立派な腕章になっている。昔のサッカー選手はみんな、ピチピチのパンツを履いていた。そういう一つ一つが面白い。

W杯優勝トロフィーを手にするのはどこか。4年に1度の大舞台がまもなく幕を開ける(トロフィーを披露する元ブラジル代表のジウベルトシウバ氏)=共同

ルール変更に関していえば、交代選手が2人だったことが勝敗に直結したと思える試合もあった。82年大会のフランスはそこで泣いたように思う。西ドイツのGKハラルト・シューマッハーに体当たりされた選手が負傷退場となり、その穴埋めで交代の2枠を使い切ってしまったのだ。それで延長戦で補充できない事態に陥り、カールハインツ・ルンメニゲ、ホルスト・ルベッシュと新鮮なFWを投入してきた西ドイツに1-3から追いつかれてしまった。

この準決勝はW杯史上初のPK戦にもつれこみ、ドイツのW杯PK戦不敗伝説の始まりにもなった。

2点差を追いつくドイツの精神力は本当にすごいけれど、それでも私はプラティニの素晴らしさに感嘆した。これまでの私の頭の中のプラティニは「将軍」の異名どおり、悠然と構えて、おしゃれに周りを動かすイメージだったのだが、西ドイツ戦のプラティニは「こんなに走るの」というくらい動きの質と量がすごかった。

パスを出して、ドリブルでボールを運んで、味方のパスを走って受けて、ゴール前でシュートも放つ、まさに大車輪の活躍。延長に入る前、みんなが疲れ果てて地面に寝転がって給水しているときも、プラティニは昂然(こうぜん)と胸を張って立っている。何から何まで「すごい男だ」と思わされた。

どんなに時代が変わって戦術的に進化しても、この競技の本質的な部分として、試合の帰趨(きすう)を大きく左右する時間帯で決定的な仕事をする選手が超一流と呼ばれることに変わりはない。ベッケンバウアーもクライフもプラティニも、そこらあたりの存在感は本当にまばゆいばかりなのだ。日本からこういう選手を出したいものだと切に思う。

ロシア大会は気象条件に恵まれた大会になる。試合開始は日本時間で夜の9時、午前0時、午前3時といった時間帯がメーンになる。午前3時はさすがにきついかもしれないが、多くのカードを勉学や仕事に支障のない範囲で見られることと思う。ぜひとも、一人でも多くのスポーツ愛好者にW杯を楽しんでもらいたい。

昔の名勝負を立て続けに見たせいで余計にそう感じるのかもしれないが、W杯を見るということは歴史の証人になるということ。見逃す手はない。

(サッカー解説者 山本昌邦)

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