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「本当にやるのか」

コードネームは「Yamazaki」と「Hibiki」だった。武田薬品工業が仕掛けた460億ポンド(約7兆円)の巨額買収。相手企業シャイアーの本社はウイスキー発祥の地、アイルランドだ。交渉は両社を国産老舗ウイスキー代表格「山崎」と「響」になぞらえ極秘裏に進められた。

2018年2月、昭和通りに面した東京・日本橋の武田東京本社。6階会議室で開かれた取締役会に出席したある役員は身震いした。丸テーブル上には社名を伏せた製薬企業の資料。社長のクリストフ・ウェバー(51)が武田クラスの会社買収を検討していると説明したからだ。買収総額はざっと計算しても、武田の時価総額4兆円を軽く超える。巨額すぎる案件に当初浮かんだ言葉は「本当にやるのか」。

財務、営業地域、補完性を吟味。取締役会の議論を経て、株式の交換比率など買収上限を決めた。ただ社名はついに明かされず、ある役員がシャイアーの社名を認識したのは武田が買収検討を公式に認めた3月28日だ。

今回の巨額買収を主導したのはウェバーだ。関係者によると決断のきっかけとなったできごとが17年10月にあった。シャイアーが精神神経部門売却で実施した入札だ。製薬各社が手を挙げたが折り合わず、桁違いの売却益をもくろむシャイアーの姿勢にみな閉口した。が、その中に1社、むしろ思いを強くした会社があった。武田だ。

「多くの企業が興味を示している。丸ごと買収しよう」。入札を境にウェバーが全社買収に傾いていったという。買収手法について具体的な仕組みを詰め始めたのは年明け。株式と現金を組み合わせる方法で金融機関にも探りを入れ始めた。

4月13日午前。神奈川県藤沢市にある武田の研究所にウェバーの姿があった。産学連携イベントに出席し「ここで将来エキサイティングな薬を生み出したい」と新薬に対する強い渇望を強調した。武田を離れた研究者は「新薬を出せない自社の研究所にいらだちと焦りを感じていたはず」。

ウェバーはグローバル化を急いでいた前社長の長谷川閑史(71)の招きで、14年に英グラクソ・スミスクラインから武田に転じた。創業230年の老舗製薬の取締役や執行メンバーはウェバーを含め大半が外国人だ。

ただ14年以降、武田は利益率の低迷に苦しんだ。理由は「新薬が育っておらず本業で稼げていないから」(証券会社関係者)。子会社や東京本社などを次々に売却し利益を捻出したが株主総会では創業家やOBに突き上げられ年10億円の報酬もやり玉に挙がった。

ウェバーは研究領域を絞り、糖尿病薬など武田を長年支えた分野を捨て、日本人研究者を米国に移すなど改革を進めた。それでも将来に対する不安は消えなかった。優秀な研究者が去るなど"副作用"も多くじりじりと追い込まれていった。強まる焦燥感を振り払うために決断したのがシャイアー買収だった。

有望な新薬候補を持つ創薬スタートアップ企業を買収するのが最近の潮流だ。大企業をのみ込む手法は将来だけでなく「今」も買う分、財務リスクが膨らむ。それでも武田は、実績ある薬を入手でき、規模拡大で研究開発費も増やせる道を選んだ。

買収交渉は順風満帆ではなかった。武田の株価は1カ月間で20%下落。株式を対価とする買収の仕組みにも影響を与えかねず焦りは募った。4月5日午前11時。ウェバーは東京本社に7人のアナリストを呼び寄せ「格付けや配当は維持する」と訴え、火消しに動いた。

武田の提案を拒否し、買収総額をつり上げるシャイアー経営陣。評価の引き下げをちらつかせる格付け会社。四面楚歌(そか)の中でウェバーは、野村ホールディングスや外国人中心の一握りの社員らと交渉を続けた。

1回目の交渉期限となった4月25日午前9時前。「期限を延長することで合意した」と両社が公表。シャイアーが株主に買収提案を推奨する旨が加わった。ウェバーは連休前に不安がる社員向けに「休暇中の混乱は最小限にします」とつづったが、最も安心したのは他ならぬ本人だった。

「今後の社名はシャケダ(シャイアー+タケダ)かな」。買収合意後、社内でジョークを飛ばしたウェバー。だが、買収価格引き上げの立役者とされる投資銀行出身で会長のスーザン・キルスビー(59)など、くせ者のシャイアー経営陣を相手にした買収手続きが残っている。(敬称略)

実現すれば日本企業最大の海外M&A(合併・買収)の内側を追った。

[日本経済新聞朝刊2018年5月21日付]

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武田背水の7兆円買収

コードネームは「Yamazaki」と「Hibiki」だった。武田薬品工業が仕掛けた460億ポンド(約7兆円)の巨額買収。相手企業シャイアーの本社はウイスキー発祥の地、アイルランドだ。交渉は両社を国産老舗ウイスキー代表格「山崎」と「響」になぞらえ極秘裏に進められた。

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