/

お台場に浮かぶ強運の船 南極観測船「宗谷」

今昔まち話

東京・お台場地区の桟橋にひっそりと係留されている南極観測船「宗谷」。この船が太平洋戦争時に海軍の特務艦として働いたことを知る人はもう多くないだろう。

保存、展示されている南極観測船「宗谷」

船の科学館(品川区)の学芸員、飯沼一雄さんは「宗谷ほど波瀾(はらん)万丈な生涯を持つ船はないと思います」。進水は今から80年前の1938年。海軍では新たに占領した地域の測量や物資、人員の輸送を担い、開戦直後から最前線での作戦に加わった。何度出撃しても必ず生還することからこう呼ばれた。「強運と奇跡の船」

進水時の「宗谷」。ロシア語の船名が付けられた(1938年)=船の科学館提供

敗戦へのターニングポイントになったミッドウェー海戦に測量の任務を帯びて参加。43年には南太平洋のブカ島で魚雷の直撃を受けたが、不発で撃沈を免れた。44年、連合艦隊司令部のあったトラック島が爆撃を受けた際には50隻の僚艦が沈むなか、宗谷だけが生き残った。

そして迎えた敗戦。多数の在外邦人の引き揚げが戦後最初の任務となる。48年までに1万9000人を祖国へ連れ帰った。飯沼さんは「もう少し大きくて性能がよい船だったら、戦後賠償として連合国に接収されていたかもしれません」と話す。

「南極観測船に」と白羽の矢が立ったのは「国際地球観測年」を2年後に控え、各国が南極探査を競って計画した55年のことだ。まだ戦後10年。新たな船を建造する国力はなく、建造時から耐氷能力を備えていた宗谷が選ばれた。数々の苦難を乗り越えながらの観測任務は62年までの計6回。映画にもなったタロとジロの物語は2~3次観測での出来事だ。船体の傷みが激しくなり観測船の任務を解かれた宗谷は流氷の海をパトロールする巡視船に生まれ変わる。漁船の救助や流氷観測に従事。125隻約1000人を救助し、今度は「北の守り神」と呼ばれた。

進水からちょうど40年を迎えた78年、すべての役目を終え「解役」。耐用年数はとうに過ぎていた。激動の昭和を駆け抜けた船の生涯は同時代の人々の人生と重なる。惜しむ声が全国で起こり、船の科学館で保存することが決まった。連合艦隊に所属した艦艇で、現在も海に浮かぶ唯一の船である。(稲沢計典)

 宗谷を発注したのは実は旧ソ連。1938年2月の進水当時、船首と船尾にキリル文字で「ボロチャエベツ」と船名が記されていた。耐氷能力を備えた商船として、新興の造船所「川南工業」が受注。戦時色が強くなるなか、ソ連に引き渡されることはなく、日本の商船として就航する。39年、旧海軍が買い上げを決定。特務艦に海峡名を付ける海軍の慣例に従って艦名が変更され「宗谷」が誕生した。船の科学館は進水80周年を記念して、宗谷の歩みを建造時から振り返るパネル展を開催中だ。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン