2018年5月27日(日)

捨てた「対等」の建前 「日本製鉄」69年ぶり復活

コラム(ビジネス)
環境エネ・素材
2018/5/17 6:30
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 新日鉄住金は16日、2019年4月1日付で社名を「日本製鉄」に変更すると発表した。日本製鉄は戦前に発足した国策製鉄会社と同じで、69年ぶりに復活する。旧新日本製鉄の源流となった企業だ。新日鉄住金は12年10月に同社と旧住友金属工業が合併して発足したが、5年半で社名から「住金」が消える。住金が実質的に新日鉄に飲み込まれた構図が鮮明になった。

記者会見する新日鉄住金の進藤社長(16日、東京・中央)

記者会見する新日鉄住金の進藤社長(16日、東京・中央)

 「(社名変更後も)住金のDNAは残る」。新日鉄住金の進藤孝生社長は16日の記者会見で、こう断言した。住金の名前は英文表記からも消え、社名変更後は新日鉄時代と同じ「NIPPON STEEL」に戻る。進藤社長は住金が実質的に吸収されるとの見解について「うがった見方」と否定したが、現実的には新日鉄主導が際立つ。

■「スローM&A」を締めくくり

 今回の社名変更は、見方を変えれば新日鉄の長期間にわたる「スローM&A(合併・買収)」の締めくくりともいえる。

 新日鉄と住金が提携したのが02年。実質的には長い「鉄冷え」で経営不振に陥った住金の救済策だった。その後、新興国の経済成長を受け市況は急回復したが、両社トップは将来の合併を視野に提携強化を進めた。07年には1000億円を相互に出資。当時の新日鉄首脳は「合併へ後戻りはない」と明かした。

 実はこのころ同時並行で検討していたのが、今回完全子会社化する日新製鋼の吸収だった。独占禁止法などの問題で住金との合併が宙に浮いた場合の「第2の選択肢」だったのだ。独禁法の緩和や世界市場での日本勢の低迷などを受け、住金と日新の「両取り」に成功した。

 それでも新・日本製鉄を取り巻く状況は厳しい。17年の粗鋼生産量は日新を足しても世界3位。海外展開はまだ緒に就いたばかり。約20年に及ぶ国内再編の成果を示すのはこれからだ。

■「たすき掛けの時代じゃない」

 「もう、たすき掛けなんてやってる時代じゃない」。2012年に発足した新日鉄住金。初代社長となった旧住友金属工業出身の友野宏氏はこんなことを語っていた。

 11年2月、新日鉄と住金が合併の検討を公表した際、両社トップは「対等の精神」を繰り返し強調したが、その後の人事や今回の社名変更を見れば対等は幻影だったといわざるを得ない。ただ、友野氏が言うように新会社にとって不可避な選択だったように思える。

 たすき掛け人事は旧新日本製鉄の長年の慣例だ。友野氏と合併を決めた宗岡正二・現会長は1970年入社の新日鉄1期生。宗岡氏は69年に富士製鉄から内定を受けており富士派で通っていたが、三村明夫氏と2代続けての実質的な富士政権が初めて発足。ようやくたすき掛けが破れた。

 そこまでの38年間、実力や成果に見合わない人事が延々と続けられた。

 新日鉄を筆頭に、鉄鋼5社で国内市場を分け合った時代はそれでも良かった。だが2000年代に入り、鉄鋼大手は国際競争にさらされ始めた。

■「買収」完了宣言

 鮮烈なパンチを放ったのがインド出身のラクシュミ・ミタル氏だった。世界の鉄鋼会社を次々と買収し、06年に欧州アルセロールを手に入れて世界最大手に。新日鉄も買収の脅威におびえた。ミタル氏に対抗し、同時に海外に打って出るため再び規模を追い始めた。

 当時社長だった三村氏は「本当に大丈夫なのか、何度も自問自答するよ。僕は入社してから不況しか知らなかったからさ」と漏らしたが、住金との超スローM&Aを逆行させることはなかった。

 新・日本製鉄は文字通り新日鉄による「買収」完了宣言だ。社内のあつれきもないとは言えまい。ただ、世界と戦うためにはいまさら「対等」の建前にこだわっていられない。意外な新社名からは、そんな意志が伝わってくる。

(企業報道部 杉本貴司)

[日経産業新聞5月17日付]

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