2019年1月22日(火)

師弟・職人 熱意映す教材 京都盲唖院 資料(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
2018/5/16 17:00
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日本初の公立の特別支援学校「京都盲唖(もうあ)院」が京都市中京区に開校したのは明治11年(1878年)5月のことだった。障害を持つ子供をどう教え導くか。教師たちは情熱的に指導方法の開拓に取り組んだ。創立140周年を迎えた今年、歩みを物語る資料約3000点が国の重要文化財に指定されることが決まった。

■国の重文に3000点

5センチ角の木片に平仮名や片仮名、数字を一つずつ浮き彫りにした「木刻凸凹文字」

5センチ角の木片に平仮名や片仮名、数字を一つずつ浮き彫りにした「木刻凸凹文字」

資料のうち約2600点は後身の京都府立盲学校(同北区)、約400点は府立聾(ろう)学校(同右京区)が保管する。府立盲学校で長年教諭を務め、研究に取り組んできた非常勤講師の岸博実さんを同校に訪ねた。

案内された資料室には様々な品がぎっしり。多いのは日誌や在籍簿といった文書類だ。指導方法を解説した絵図や、指先でさわって読み解けるよう凹凸で街路を表した「凸形京町図」、盲人用そろばんといった教材教具も展示されている。

「盲生遊戯並体操図」には生徒5人が並び、左右の手に長い棒を持って関節をほぐす姿が描かれる。岸さんは「運動不足で健康を損ねがちだったため、体育に力を入れた」と話す。

体育の授業風景を伝える「盲生遊戯並体操図」

体育の授業風景を伝える「盲生遊戯並体操図」

フランスで発明された6点式点字が導入されたのは開校から13年後。それまでの間、どうやって文字を教えるか手探りを重ねた時期の教材も多い。

「木刻凸凹文字」は5センチ角の木板にひらがなやカタカナを1字ずつ刻んである。鍼灸(しんきゅう)などの教科書「療治之大概集」は、京都の2年後に東京に開校した「楽善会訓盲唖院(現筑波大学付属視覚特別支援学校)」の聾生徒が盲生徒のために凸字で制作したものだ。

生徒の手のひらや背中に教師が指で一つ一つ字を書いて教えることもあった。「くすぐったさや痛みを感じさせないよう指の圧力や爪の長さに注意」と書いた記録も残っているそうだ。

■学費を免除・猶予

凸凹文字には紙のカードもあった(盲目児童凸文字習書)

凸凹文字には紙のカードもあった(盲目児童凸文字習書)

京都盲唖院の初代院長、古河太四郎は1845年、日本最大級の寺子屋「白景堂」に生まれた。小学校教師を務めつつ障害を持つ子供たちの教育に取り組み、盲唖院創設に尽力した。当時、特別支援教育は義務教育ではなかった。同院は学費を免除・猶予し、通学用の人力車や寄宿舎を用意して就学を促した。開校時48人だった生徒数は数年後には3ケタに増えた。

なぜ全国に先駆けて京都にこうした学校が開校したのか。岸さんは「江戸期まで盲人の自治的互助組織『当道座(とうどうざ)』の本部が京都にあった」と指摘する。箏(こと)や三味線、鍼灸やマッサージなどの技に応じ「検校(けんぎょう)」「座頭(ざとう)」といった位階があり、全国の盲人が集まって腕を磨いた。明治初めに廃止されたが「街の人々は彼らの医療や芸術での可能性をよく知っていた」という。

東京の楽善会訓盲唖院の聾生徒が盲生徒のために凸文字で制作した鍼灸やマッサージの教科書「療治之大概集」

東京の楽善会訓盲唖院の聾生徒が盲生徒のために凸文字で制作した鍼灸やマッサージの教科書「療治之大概集」

「感銘を受けたのは木刻凸凹文字。職人が細部まで気を配って作ったことがさわるとよく分かる。一部は摩耗ですり減っている。多くの生徒が字を読もうと懸命にさわったのだろう」。こう語るのは全盲の文化人類学者、国立民族学博物館の広瀬浩二郎准教授。「先生と職人、生徒の『教えたい』『読みたい』という熱意と努力が生んだ教材だ」

同校では今後、文書類をデジタル化し教材のレプリカを作るなど保存と活用の両立を目指す。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 大岡敦

 《交通》資料室がある京都府立盲学校花ノ坊校地(高等部)は市バス「千本北大路」または「ライトハウス前」下車すぐ。見学の際は事前に日時などを要相談。電話075・462・5083。
 《京都盲唖院跡》1878年に京都市中京区東洞院(ひがしのとういん)御池上ル船屋町に「仮盲唖院」が開設され、翌年、同上京区釜座(かまんざ)椹木町(さわらぎちょう)下ル(現京都第二赤十字病院)に移転した。周辺に記念の石碑が建つ。

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