「吉野宮」の正殿か ひさし巡る大型建物跡 平城宮内
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奈良県吉野町の宮滝遺跡(国史跡)で奈良時代前半(8世紀)の大型掘っ立て柱建物跡が確認され、県立橿原考古学研究所と吉野町が15日発表した。四方にひさしが巡る構造は、天皇が住んだ内裏に匹敵する最高格式で、飛鳥宮や平城宮の内裏と同じ。飛鳥・奈良時代の天皇が盛んに訪れた離宮「吉野宮」の中心となる正殿の可能性がある。

吉野川北岸にある宮滝遺跡では、これまでも飛鳥・奈良時代の遺構が出土しており、日本書紀や万葉集に登場する吉野宮の有力候補地だった。同研究所の菅谷文則所長は「天皇にだけ許される格式の建物が確認され、遺跡が吉野宮であることを決定づけた」と語った。
調査では一辺1.2~2メートルの方形の柱穴跡を、過去に発掘したものも含め計15個を確認。建物本体の穴の外側に、ひさしを支えた柱穴もあった。ひさしを含む全体は、柱と柱の間(柱間)が東西9間(23.7メートル)、南北5間(9.6メートル)。
続日本紀によると、奈良時代前半には元正天皇や聖武天皇が吉野宮を訪れているほか、宮を管理するための行政機構「芳野監」が置かれた。
建物の年代を示す遺物はなかったが、周辺で見つかった石敷きや掘っ立て柱塀の遺構と一連の施設とみられ、そこから奈良時代前半の瓦や土器が出土していることから同時期のものと判断。複数回建て直された痕跡もあった。〔共同〕
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