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ニュー新橋ビル 昭和薫るおやじの聖地

今昔まち話

東京都庁3階の一室に古い写真が残っていた。1964年東京五輪の翌年に撮影されたJR新橋駅西口。中央右に大きなステージがあり、左手に5階建てほどのビル。「いやあ、懐かしいねえ」。オムライスの人気店「むさしや」の3代目、鈴木瑞樹さん(70)は目を細めた。

1階にむさしやが入るニュー新橋ビルは6年後、このビルの跡地周辺に建った。白い格子状のモダンな外壁を特徴とした地上11階、地下4階建て。多くの店舗が集まる複合ビルのはしりだ。

終戦後、新橋駅前の空き地にバラックが建ち、1坪に満たない飲食店やバーがひしめく日本最大規模の闇市ができた。東京都が再開発に乗り出し、権利関係を解きほぐして完成したのがニュー新橋ビル。どの店がどこに入るかを異例のくじ引きで決め、1階を引き当てた鈴木さん一家はハンバーガー店を開いた。

銀座に日本マクドナルド1号店ができる少し前。米国旅行の経験から「いける」と踏んだが、あえなく失敗。次に挑んだクレープ店も振るわず、借金が膨らんだ。たい焼き店に衣替えすると「およげ!たいやきくん」ブームが到来。売れに売れ「ようやく借金を返せた」と笑う。

店は今、オムライスとナポリタンの人気店。昼時には会社員が列を作る。鈴木さんのようなオーナーが営む店はビルの開業から47年が過ぎ、約3分の1に減った。「上司から部下に引き継がれていく飲み屋が少なくなった」と同ビル商店連合会の長尾哲治連合会長(49)。

ビルは老朽化が進み、新橋の街には大規模な再開発計画が持ち上がっている。今も早朝5時半から厨房に立つ鈴木さん。「息子世代が決めること」と前置きしつつ「昭和の薫りを残した庶民的な雰囲気がビルの良さ。どんな形でも残してくれたら」と願う。

 SL広場 ニュー新橋ビル開業翌年の深夜、1台の蒸気機関車がトレーラーに運ばれて新橋駅西口にやってきた。「C11-292号」。現役時代は兵庫県姫路市を走っていたが、1972年に廃止となり、当時の国鉄から教育展示用に無償貸与された。「鉄道発祥の地の象徴に」と誘致したのは地元の商店主ら。以来46年。数度の改装工事を経て、今も1日3回、汽笛を鳴らす。もう一つの新橋駅西口のシンボル。

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