実家からのコメを「魚風ごはん」に 南こうせつさん
食の履歴書

大分の禅寺の三男として生まれた。住職の父が土にまみれ畑仕事に精を出していた姿が忘れられない。歌手をめざし上京してからも両親は自然の恵みを送ってくれた。苦み、甘みが鮮烈な野菜は日々の活力となる。今は故郷に戻り家族みんなで土を耕す。
放課後は父の野菜作り手伝う
大分市郊外の竹中地区にある曹洞宗の勝光寺。現在は長男が住職をつとめる。古刹は春になると、向かいの大野川の河川敷に菜の花が咲き誇り、そよ吹く風に小鳥が気持ちよさそうにさえずる。「父はまじめで笑顔を絶やさない人。例えるなら風のようにそよぐ人だった。子どものころは木魚の音で目が覚めた」
檀家が少なく生計を立てるのに苦労したという。父は畑で野菜作りの毎日。小学生のころ、そんな父を手伝った。学校が終わると寺の近くの畑へ。土を掘り起こし種をまく。肥料と水やり。キャベツ、ナス、キュウリ、白菜と何でも作った。夕方、おなかの虫が鳴く。気がつくと父は畑の隅で火をおこしサツマイモをくべている。何も言わず差し出す。焼き芋の火力の強い部分は焦げ、弱い所は半生。それでもおいしかった。
1950年代から60年代、寺の本堂で行われる法事は派手だった。お経をあげて焼香と、最初のうちは普通の法事だが食事が終わると歌謡ショーが始まる。カラオケのない時代、大人たちは手拍子だけで「ラバウル小唄」などの軍歌や三波春夫を気持ちよく歌った。本堂は地域の集会にも使われた。参加者はたけのこご飯や鶏飯を持ち寄り、大いに食べて飲んで歌った。
歌と食べ物はこんなにも人を幸せにするのか、と肌に感じた少年は中学生になりギターに親しみ、ボブ・ディランに衝撃を受ける。ディランはベトナム戦争反対と叫び、東京でも同様の運動が起きている。高校生になると洋楽をもっと知りたい、そして歌手になりたいという思いが募る。そのためには東京に行くしかない。68年、運良く明治学院大に合格して上京。だがほとんど通わず中退する。
ディランに衝撃、「かぐや姫」で大ヒット
東京生活のスタートは大田区馬込の4畳半の木造アパート「親和荘」。貧しかった。部屋には3日間、何も食べていないといった同郷の仲間が転がり込む。でもみんな夢にあふれていた。「オレは音楽業界で成功すると酔っ払ってよく宣言した」。それでも腹は減る。一年に数回、実家から段ボール箱いっぱいのコメ、野菜が送られてきたのが身にしみた。
だから大事に食べた。そこで気づいたのは子どものころと変わらない味。ピーマンはひたすら苦い。キャベツは生で食べると甘い。だれでも食べやすいように品種改良されておらず、自己主張がある。在来野菜だったのだろう。
野菜が尽きてコメだけになると自己流の夕げを楽しんだ。「コメを炊いて皿に盛る。そして米粒を寄せ集め、魚の形に手と箸で整えていく。その『魚風ごはん』を前に、今日はブリか豪勢だなとつぶやき、しょうゆをかけて食べた」。こうすることで貧乏でも食べる幸せをかみしめた。親への感謝の表し方の一つだったのかもしれない。
73~74年、第2次かぐや姫で「神田川」「赤ちょうちん」「妹」と大ヒットが続く。経済力がつき東京のおいしい店に気軽に入れるようになった。でも「神田川」は売れ過ぎた。周囲の評価はうなぎ登りだが、グループの実力がついていっていないと感じた。「僕たちはそんなに偉大ではない。今まで通り商業主義にならず志を貫こう。僕たちはこれからも変わらないとコンサート会場の楽屋で伊勢正三、山田パンダと確認した」
国東半島で自給自足の暮らし
志とは自分たちが歌いたいことを歌うというフォークソングの精神。変えてはいけないものだ。自身の血肉となった故郷の畑が志を支えた。
75年、かぐや姫解散。ソロになっても「夏の少女」をはじめヒット曲を出す。現在もコンサートスケジュールはぎっしりだ。しかし自分の立ち位置は土の香りがいまだに残る故郷だと思い至り、国東半島の杵築に移り住む。自宅には菜園があり野菜を収穫する。妻は梅を栽培する。杵築でのくらしは30年を超えた。
「仕事はずっと現役感覚を維持している。でもテレビで神田川を歌う僕を見て元気をもらったという団塊の同世代の声が多くなった。過去を歌い継ぐのも僕の役割なんだろうね」と話す。「若かったあの頃 何も怖くなかった」――。しみじみとした音色は実家で採れた野菜と同様、滋味あふれたものになっていくだろう。
家族とカウンターで

仕事で上京すると立ち寄るのが東京・赤坂のフランス料理店「ビストロQ」(電話03・6459・1909)。2年前から訪れている。「黒毛和牛ハンバーグ フォアグラ詰め」(税別3800円)がお気に入り。
赤身ではなく霜降りの和牛を使うので「柔らかくてふんわりとした食感」(店主の山下九さん)という。鉄板で焼く前に肉の中にフォアグラを閉じ込める。焼いた後の仕上げは赤ワインのソース。フォアグラのうまみとワインの酸味が絡み合うぜいたくな逸品だ。
16席のこぢんまりとした店。南さんは仕事仲間や家族とカウンターで楽しむ。「他の客も決して騒がない。そんな雰囲気を大事にしたい」(山下さん)。南さんはハンバーグを食べスパイシーなブラックカレー(同1000円)で締めるそうだ。
最後の晩餐
青春時代を過ごした東京の木造アパート「親和荘」で食べた「魚風ごはん」ですね。当時はブリやサンマにしていたけど、いよいよこの世の別れとなったら奮発してタイの尾頭付きで締めたいね。横には妻の作った減塩の梅干し。それに味噌汁があれば最高です。(保田井建)
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