2018年11月15日(木)

本塁打で稼ぐ 勝ち組VCに見る「ベーブ・ルース効果」

CBインサイツ
米巨大ITへの逆風
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コラム(テクノロジー)
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2018/4/23 2:00
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 (2)フェイスブック

フェイスブックの調達額160億ドル、評価額1040億ドルのIPOにより、初期の投資家であるアクセル・パートナーズと米Breyer Capital(ブレイヤー・キャピタル)は大成功を収めた。両社は05年、当時の「Thefacebook(ザ・フェイスブック)」のシリーズAラウンド(調達額1270万ドル)を主導。株式15%を取得した。

この時点で、フェイスブックは8750万ドルというとてつもなく高い評価を得た。それから1年もたたずに、投資家が同社に殺到し始めた。

利用者数と売上高が急増していた06年のシリーズBには数社が参加。米Founders Fund(ファウンダーズ・ファンド)、米Interpublic Group(インターパブリック・グループ)、米Meritech Capital Partners(メリテック・キャピタル・パートナーズ)、米Greylock Partners(グレイロック・パートナーズ)が計2750万ドルを出資し、フェイスブックの評価額は4億6800万ドルになった。

アクセルは10年にフェイスブック株の一部を5億ドルで売却したが、12年にフェイスブックが上場した時点で持ち株に90億ドルの価値がつき、巨額のリターンを得た。この投資により、アクセルのファンド「IX」は最も運用成績の良いVCの一つになった。

一方、フェイスブックに最初に投資したピーター・ティール氏は、機会を逃した。ティール氏は04年、フェイスブックへの50万ドルのシード投資で社外取締役に就いた。ティール氏によると当時のフェイスブックの「評価額は非常に適正」で、利用者は約100万人だった。

ティール氏はフェイスブックの前代未聞の人気ぶりを目の当たりにした。アクセルやブレイヤーと共に再び投資しなかったのは、フェイスブックは過大評価されていると考えたからだ。フェイスブックがティール氏の投資からわずか8カ月後のシリーズAで(1270万ドルを)調達すると、ティール氏(とシリコンバレーの大半)はアクセルの投資額は多すぎると思った。

ここでティール氏は典型的なミスを犯していた。指数関数的な成長を見抜けなかったのだ。ティール氏は後に、フェイスブックの資金調達ラウンドに参加しなかったのは最大の過ちだったと振り返っている。そこから得た最大の教訓は、過大評価されているように「見える」企業についての考え方だったとも述べている。

「日常体験はかなり直線的なので、指数関数的な物事を大幅に過小評価してしまう。大半のVCは評価額が急増したラウンドに対し、進歩が急すぎると考えて過小評価する傾向がある」(ティール氏)

フェイスブックの月間アクティブユーザー数(MAU、百万人)の推移

フェイスブックの月間アクティブユーザー数(MAU、百万人)の推移

ティール氏にとって、フェイスブックの成長がありきたりの直線モデルをたどっていなかったのは後から考えれば明らかだった。実際には、フェイスブックは指数関数的な成長を遂げていたからこそ過小評価されたのだ。

ティール氏は後に「一流の投資家(アクセルが念頭にある)が主導する強気の資金調達ラウンドでも、ITスタートアップは総じて過小評価されている。ラウンドの伸びが大きいほど、過小評価の程度も大きい」と述べている。

強い信念があれば、上昇局面でできる限り資金を投じるために、必要な手が打てる。エリック・レフコフスキー氏はグルーポンの設立を支援した後、これを実践した。

(3)グルーポン

11年の米グルーポンのIPOは、米ネット企業としては07年のグーグル以来の規模だった。評価額は130億ドル弱で、7億ドルを調達した。

上場初日の取引終了時点では、初期の投資家である米New Enterprises Associates(NEA)の持ち株14.7%の価値は約25億ドルだった。もっとも、グルーポンのIPOの最大の勝者は筆頭株主のエリック・レフコフスキー氏だった。

レフコフスキー氏は共同創業者、会長、投資家、筆頭株主としてグルーポンに関与。自らの様々な投資手段や経営の役割を通じ、投資側と経営側の双方に身を置いた。その手法には異論もあったが、結局レフコフスキー氏の持ち分は21.6%に達した。グルーポンが11年に上場すると、レフコフスキー氏の持ち株の価値は36億ドルになった。

発端は、レフコフスキー氏がグルーポンの設立を支援したことだった。グルーポンの共同経営者アンドリュー・メイソン氏がレフコフスキー氏の会社に就職したのを機に、両者は知り合った。メイソン氏は06年、レフコフスキー氏に対し、クラウドソースの投票サイト「ザ・ポイント」の構想を打ち明けた。

レフコフスキー氏とブラッド・キーウェル氏は07年、ザ・ポイントに100万ドルの資金を提供した。だが08年にはザ・ポイントは経営難に陥った。レフコフスキー氏はこのプラットフォームを使って共同購入し、値引きを受けている利用者がいることに気付いた。この1度限りの用途がはるかに成功する事業になるとみて、レフコフスキー氏はメイソン氏の事業モデル転換を支援した。

こうして誕生したグルーポンの資金調達ラウンドには様々なVCが参加した。シリーズAではNEA、シリーズBではアクセル、シリーズCではロシアのDigital Sky Technologies (デジタル・スカイ・テクノロジーズ、DST)、そして9億5000万ドル以上を調達したシリーズDではグレイロック・パートナーズ、アンドリーセン・ホロウィッツ、KPCBなどが名を連ねた。それでも、どの投資家もIPOでレフコフスキー氏を上回るリターンを得られなかった。

グルーポン上場時のレフコフスキー氏の持ち株比率は21.6%で、第2の大株主であるNEAの1.5倍、共同創業者兼CEOのメイソン氏の2.8倍だった。

レフコフスキー氏は共同創業者、会長、初期投資家としての役割で複数の所有権を持ち、けた外れのリターンを得た。

レフコフスキー氏は早い段階で持ち分の一部を現金化した。シリーズC(調達額1億3500万ドル)の1億2000万ドル分と、シリーズD(調達額9億5000万ドル強)の8億1000万ドル分を既存投資家向けに償還した。

同氏は自らの投資会社Green Media(グリーン・メディア)と600 West Partners II(600ウエスト・パートナーズ2)を通じ、このうち3億8600万ドルを受け取った。しかも、この株式の取得費用はわずか546ドルで、IPO前の償還で数百ドルが数億ドルになり、さらにIPOでは数十億ドルになった。

レフコフスキー氏の共同創業者と投資家を兼ねるスタイルは異例の戦略に思えるかもしれない。だが実は「双方のためにプレーする」のはシリコンバレーの昔ながらの慣習だ。KPCBが90年代に通信会社セレントで大成功を収めた背景にも、このモデルがあった。

(4)セレント

米シスコは1999年、セレントを69億ドルで買収した。IT企業としては当時過去最大の買収だった。同社に800万ドルを出資していたKPCBにとって、この日は数十億ドルの給料日になった。

セレントを共同で創業し、率いていたのは、KPCBの元パートナー、ビノッド・コースラ氏だった。KPCBの評判と豊富な取引件数のおかげで、コースラ氏はシリコンバレーの最高のエンジニアに面識があり、市場のニーズを鋭く認識していた。セレントの構想はコースラ氏のオフィスに持ち込まれ、コースラ氏はこれを実行する適切な人材を見つけるだけでよかった。

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