2019年6月27日(木)

球場が呼んでいる(田尾安志)

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大谷に思う米国野球の遊戯性と懐の深さ

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2018/4/22 6:30
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現役時代に日米野球で様々な投手と対戦したが、意外にも大リーガーの中に「すごい」と感じる投手はそれほどいなかった。むしろ、きりきり舞いさせられた印象が強いのは大リーガーの卵たちだ。1975年の日米大学野球選手権。当時同志社大4年で、日本代表の一員として米国に遠征した私は彼らの球の速さに圧倒された。

その一人がフロイド・バニスター。左腕から繰り出す速球は見たこともない速さで、あの江川卓(当時法大)の球が遅く感じたほどだった。ほかにも剛速球投手が何人もいて、後に巨人に入る平田薫(当時駒大)などはバントを試みてバットに当てることもできなかった。

当時の米国はレベルが高く、後にバリバリの大リーガーとして活躍する選手がそろっていた。この年の大会は米国開催だったこともあり、大リーグ各球団のスカウトたちが集結。彼らにアピールしようとこれでもかと投げ込むのだから、日本の打者が手を焼いたのも当然だった。ちなみにバニスターはマリナーズ時代の82年に209奪三振でア・リーグのタイトルを獲得。その後、ヤクルトにも在籍したからご記憶の方もいるだろう。

オープン戦の不振、「背伸び」原因

こんな猛者たちがしのぎを削るのだから、大リーグはやはりすごいところだと痛感した。それを思うと、自ら荒波に飛び込んでいく現代の日本人大リーガーは大したもので、なかでも大谷翔平(エンゼルス)の活躍には驚きを隠せない。本拠地デビュー戦からの3試合連続本塁打は見事だったが、うち2本を中堅深くに打ち込んだ打撃はメジャーの強打者も顔負け。投手としてもこれ以上ないスタートを切った。

オープン戦の大谷は打撃で苦しんだ。不調ぶりに現地では実力を疑問視する報道があったが、いぶかるのも無理はなかった。そのころの大谷は、日本の好調時と違ってテークバックで右腕が伸び、始動の際に手の位置が顔からずいぶん離れていた。腕と体がずれているから振り始めが大きい、いわゆる大振りになり、強い打球を飛ばせない打ち方になっていた。大振りになったのは、遠くに飛ばせるところを見せたい思いが強すぎたためだろう。

ただ、いざ公式戦に入って修正してきたあたりはさすが。本人はスイングを「コンパクトにした」という内容のコメントを残していたが、私にいわせれば日本時代のいいときに戻したにすぎない。いつも冷静な大谷がオープン戦で"背伸び"をしたのは、それだけ大リーグでも投打の二刀流を貫くことへの重圧を感じていたからかもしれない。だが、身長190センチを超える大谷はもはや体も技もしっかりできあがっている。背伸びなどせず、等身大のまま臨めばよかったのだ。

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