適時打を放ち塁上に立ったロッテ・福浦和也(42)のユニホームを、千葉名物の風が少々手荒にはためかせて祝福した――。ロッテひと筋にプレーして25年目の今季、通算2000安打が視野に入った。選手寿命が伸び、大台達成者は増えているが、日本球界を代表する「フランチャイズプレーヤー」としての足跡にはまたひと味違った趣がある。
昨年までの通算安打は1962本。大台まで38本として始まった今季は1歳年上の井口資仁新監督に重用され、DHでの先発起用が増えている。

福浦は球団の最多出場記録を更新し、記念のボードを掲げた=共同
■目立つここぞでの巧打
打率こそ高くないが、首位西武戦で2試合続けて打点を挙げたように、ここぞでの巧打が目立つ。
11日。三回2死二塁で打席に立った福浦が、西武・ファビオ・カスティーヨの球をとらえた打球はときおり秒速17~18メートルを記録したZOZOマリンスタジアムの風のなか、ぐんぐん伸びて左翼越えの適時二塁打となった。
大記録へ向かい、カウントダウンしている電光掲示板の「FUKU METER」が「1969」と表示された。2000本まであと31本。
風に乗った、といっては福浦に失礼かもしれない。左翼方向の打球が伸びる傾向にはあったが、先発の二木康太も「どっちに向かっているかわからない」という気まぐれな風だった。
これまで積み重ねてきた安打のうち、風に助けられたものもあったかもしれないが、風に阻まれた安打も同じくらいあっただろう。風は誰に対しても“中立”だ。
福浦は地元千葉出身で習志野高出。申し分のない千葉の顔として、入団時からこの球場をすみかとしてきた福浦に対しても、風は無慈悲なほどに中立だったに違いない。
千葉の風に吹かれ続けて25年。天性の打撃センスで、メジャーに去ったイチローのあとを襲い、2001年に3割4分6厘で首位打者になった。以後6年連続打率3割をマーク、パ・リーグを代表する選手として活躍してきた福浦も、今年43歳になる。その存在は樹皮がそがれて白茶けた幹をさらしながらも、岬の突端で風に向かい続ける古木を連想させないでもない。
1969本目の安打を放った前の日には通算2162試合出場という球団記録をつくり、祝福を受けた。それまでの記録は天才打者の名をほしいままにした榎本喜八の2161試合。福浦の名は球団の新たなレジェンドの系譜に刻まれることになる。