グッドパッチ 刺さるUI、彩るデザイン
(アントレプレナー) 土屋尚史社長

2018/4/16 12:00
保存
共有
印刷
その他

米国発の「デザイン思考」という言葉が日本でもじわり浸透してきた。「論理・数字より感情を優先し、ユーザー中心の考えを経営に反映させる」手法で、それを事業に育ててきたのがグッドパッチ(東京・渋谷)。デザイナー集団を率いる創業者の土屋尚史社長(34)は米国で刺激を受け、日独に拠点を置くなど「ボーングローバル」そのもの。だがその道は平たんではなかった。

土屋尚史社長 2006年、関西大学中退。10年、祖母が残した500万円が転がり込む。DeNA・南場智子会長の講演で刺激を受け多国籍のスタートアップを志向。11年、渡米。帰国後にグッドパッチを設立。15年、ベルリン、台北に進出。16年、17年 それぞれベンチャーキャピタルなどから4億円を調達

土屋尚史社長 2006年、関西大学中退。10年、祖母が残した500万円が転がり込む。DeNA・南場智子会長の講演で刺激を受け多国籍のスタートアップを志向。11年、渡米。帰国後にグッドパッチを設立。15年、ベルリン、台北に進出。16年、17年 それぞれベンチャーキャピタルなどから4億円を調達

「お絵描きのデザインではなく、デザイナーの仕事の認知度を上げ憧れるような職にする」。個人商店が多いデザイン業界で、デザイナー出身でない土屋氏は自らを"指揮者"と割り切る。

同社の主力事業はUI(ユーザーインターフェース)などのデザイン。UIは顧客がサービスを最初に心地よく感じてもらう接点のこと。「UIがプラスであれば、消費行動や企業イメージにも好影響」という考えは広く認識されつつあり、足元では追い風だ。

起業の背中を押したのは「500万円」と「3.11」だった。

2006年に関西大学在学中の22歳で中退。「30歳までに起業する」と決めウェブ制作会社などで働き起業までの7年計画をつくり、結婚もしていた。転機は10年。自分名義の定期預金が満期を迎え、500万円が振り込まれたのだ。

身に覚えのない定期預金の主は亡くなった祖母。孫が17歳の時、将来の資金として用意していた。この贈り物に「今だ」と前倒しで起業に動き、準備のため様々な講演を聴いて回った。胸に響いたのがDeNAの南場智子会長(55)の一言だ。

南場氏は日米のスタートアップを比較し、「日本は最初から日本人が日本だけで成功して終わり」と指摘。「多国籍軍をつくりなさい」との助言を受け、瞬時に「まずシリコンバレーに行こう」と決めた。

ただ、「シリコンバレーに知り合いいない、英語しゃべれない、そもそも海外行ったことがない」の"3ない"の現実。生後8カ月の娘もいた。

それでも友人のチャットワーク(大阪府吹田市)の山本敏行社長(39)に紹介を頼み、サンフランシスコのデザイン会社ビートラックスの門をたたいた。面接は2011年3月10日だった。

米国で知った翌日の東日本大震災。無事に採用されたが、「面接が1日遅れたら成田空港から米国に飛べなかった。人生の分かれ道だった」

第一の幸運は、11年のシリコンバレーにいることができたことだった。

当時、ウーバーテクノロジーズやインスタグラム、エアビーアンドビーが勃興。スマートフォン(スマホ)の画面のUIやUX(ユーザー体験)に優れる企業群だ。「デザインこそ競争力」という考えを知った。

帰国し11年9月にグッドパッチを設立。だが日本でUIデザインと言ってもまだ早く、苦労の連続。しかし、ここで二回目の幸運がやってくる。

米国で知り合った日本人の1人が東京大在学中に研修で来ていた関喜史氏(30)。その後、Gunosy(グノシー)を共同創業しており、東京で再会する。グッドパッチはグノシーサイトのデザインを担当した。

当時はまだごちゃごちゃしたサイトが主流で、グノシーのサイトもパワーポイントを使っていたが、グッドパッチは白を基調にしたシンプルなデザインに刷新。利用者が入りやすいページが受け、成長を後押しした。

その後、リクルート、ソフトバンク、DeNAとの取引にもつながった。土屋氏は「UIと連動サービスのデザインまで手がけ、顧客企業の製品とともに伸びてきた」と自負する。デザイン思考の代名詞、米IDEOにも製品が採用された。

一風変わった人材も集う。15年、慶応大大学院在学中のドイツ人、ボリス・ミルコフスキー(32)が働きたいとやってきた。日本語を話せないのに日本企業の門をたたいた彼に、シリコンバレー時代の自分を重ね、採用を決めた。

同年にベルリン拠点を設置。工業デザインの水準の高さで知られるドイツを拠点に、欧州中から人材を集めた。裁量を現地に与え、社内取締役は自分とボリスの2人だけ。日独タッグで多様性を持たせながら意思決定を早くしている。

スタートアップには「50人・100人の壁」があるとされ、社員が増え、創業者の理念が伝わりにくくなる"成長痛"が起きがち。土屋氏も壁にぶち当たったが、今は130人を超える規模になった。「20人規模で急速に伸びるベルリンはかつての東京の姿。我々の原点はユーザー視点だと再認識した」という。

「昔はホンダソニーのデザインを米国人が憧れた」と振り返り、日本発で世界に挑む。「最終的にはデザインを通じて心地よい社会づくりへの変革をしたい」。野望はまだ広がる。 (加藤貴行)

[日経産業新聞 2018年4月2日付]

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]