色あせぬ思想と技術 霞が関ビル50年、超高層の原点

2018/4/12 11:54
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11日夜には50周年を記念したライトアップの点灯式を開いた

11日夜には50周年を記念したライトアップの点灯式を開いた

日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」(東京・千代田)が12日、完成から50年を迎えた。11日夜、女優の蒼井優さんらを招いたライトアップの点灯式が霞が関ビル前の広場で開かれた。事業主である三井不動産の植田俊・常務執行役員は「50年前は高度成長期のまっただ中で、日本の青春時代だった。霞が関ビルは今後も第一線であり続けていく」とあいさつした。

超高層ビル時代の幕開けを彩った同ビルの建設プロジェクトから生まれた思想や技術は今も色あせない。三井不動産は5月末まで夜間のライトアップで「50歳」を祝う。

■過密都市問題に挑む

「東京新名所が完工」――。高さ147メートル、地上36階建ての霞が関ビルが完成した1968年4月12日付の日本経済新聞夕刊。窓から眼下を眺める男性の写真が載る。「外装や玄関周辺は完成、きれいにみがき上げられているが、各階はまだ内装工事中。(完工)式場にまで、ハンマーやドリルの鈍いひびきが伝わってくる」と記す。

「"新しい町"ができた」と報じた翌13日付朝刊には「ちょっぴり不安も」と大きな見出し。地下鉄虎ノ門駅では混雑時の入場制限を知らせる電光掲示板を設置。ビルのエレベーターの混雑を考慮して多少の遅刻を認めたり、時差通勤を検討したりする企業もあった。

60年代前半、高度成長期まっただ中の東京は人と事業所が集まり過密になっていた。地震国ゆえに建物の高さは31メートルまでに制限されており、9階建て以下の低いビルが敷地いっぱいに所狭しと並ぶ息苦しい空間だった。

低いビルや住宅が密集していた東京でひときわ目をひいた=三井不動産提供

低いビルや住宅が密集していた東京でひときわ目をひいた=三井不動産提供

東海道新幹線の後ろ側に工事現場が見える=三井不動産提供

東海道新幹線の後ろ側に工事現場が見える=三井不動産提供


もともと、既存ビルを31メートルの規制内で建て替える計画だったが、政府の求めで延期に。外貨準備金不足に悩む政府はビル資材輸入などに伴うドル流出を防ごうと民間の設備投資を抑えていた。その間に隣接ビルの建て替え計画と合流。高さ制限を解除する法改正も見えてきた。

三井不動産は鹿島などと「霞が関ビルディング企画室」を62年6月に設けた。63年には建築基準法改正で高さ制限が撤廃され、容積率(敷地面積に対する延べ床面積の割合)による規制に移行。高いビルを建てやすくなった。容積率規制を緩める「特定街区」制度も初めて使い、大規模な超高層ビルの建設プロジェクトが本格始動した。

「過密で緑も少ないという課題を解決しようと『大都市における人間性の回復』がコンセプトとして掲げられた」。現在、三井不動産のビルディング本部霞が関法人営業室で主事を務める大益佑介氏が解説する。高層化で空間を捻出し、敷地面積の7割強を憩える広場と緑地にした。

■ヒントは五重の塔

プロジェクトは技術革新のゆりかごになった。当時の国内のビルは鉄筋コンクリートの柱と壁で地震の揺れに備える「剛構造」。高くなるほど建物は重くなり高層化が難しい。そこで取り入れたのが「柔構造」だ。ヒントになったのが関東大震災に耐えた東京・上野の寛永寺の五重塔。柳がしなるように、「心柱(しんばしら)」と呼ぶ柱と木組みが揺れを吸収・分散していた。

徐々に完成に近づいてきた=三井不動産提供

徐々に完成に近づいてきた=三井不動産提供

東大教授としてこの分野を研究してきた武藤清氏が鹿島副社長に迎えられ、設計に反映した。例えば柱やはりは鉄骨とし、コンクリートで重く固めず軽量化した。

これだけではない。コンピューターを使った設計、断面がHの形をした「大型H形鋼」の採用、工場生産部材を現場で組み立て工期を短くするプレハブ工法、壁と柱の間に切れ目を入れ地震での変形を抑えるスリット工法……。霞が関ビルが先駆けとなった工法や技術は多い。

太陽の熱で鉄骨がのびることによるわずかな傾き、慣れない高所作業などに悪戦苦闘しながら工事は進んだ。

「問題が山積していた。実験と調査を重ね、新機軸をひらきながら、逐次解決をみるにいたった」。三井不動産の当時の社長、江戸英雄氏は記録冊子にこうコメントしている。「純国産の技術と資材を駆使し、今後のビル建築界に、いささか貢献し得た」。達成感がにじむ。

工事費は163億円。現在の価値で554億円だ。成立しかけた融資の約束は一度破談になったが、江戸氏が生命保険会社の協力も得て、資金調達を実現させた。

■人気と進化

完成後も話題を集めた。今はない36階展望台は多い日は2万人超の大行列。修学旅行の定番にのし上がり、「霞が関ビル○個分」と広さや体積の表現の代名詞にもなった。

建物内には医院や郵便局、レストランなどさまざまな街の機能が混在して同居。今では当たり前の「ミクストユース」(複合用途型)の走りでもあった。

時代にあわせてビル内の設備は進化していった=三井不動産提供

時代にあわせてビル内の設備は進化していった=三井不動産提供

IT(情報技術)化などに対応するため過去、計470億円を投じて3度の大規模改修を施し、最新の設備に更新してきた。災害時も事業が続けられるよう非常用発電機などを充実。館内にシェアオフィスも開いた。フロア中央にエレベーターと廊下を置き、柱が周辺部にしかない設計は、回遊性が高くレイアウト変更にも対応しやすい。「経年劣化ならぬ経年優化を実現しており、建て替える必要がない」(大益氏)。完成から半世紀たった今もほぼ満室で約9000人が働く。

296メートルの横浜ランドマークタワー、300メートルのあべのハルカス、東京駅近くに三菱地所が建てる390メートルのビル。高さ日本一の記録が次々に塗り替わる超高層ビル全盛期の現代にあっても、霞が関ビルは原点として存在感を示している。

(大林広樹)

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