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長岡実元大蔵次官死去 ドンの称号嫌ったドン

戦後財政の生き字引、長岡実氏は大蔵省のドンとよばれるのを気にしていた。「女房がね、マフィアみたいでいやだわって言うんだよ」。間近に接するとイメージが違う。勤勉で緻密。書を持ち歩き、筆まめだった。

1947年のクリスマスイブに入省し、主計局に配属された。超インフレのなかを予算編成は補正に次ぐ補正を重ね、それをGHQ(連合国軍総司令部)に説明するための翻訳にあけ暮れた。

同期のひとり、平岡公威と親しかった。9カ月で役所を辞する三島由紀夫である。アプレゲールを描いた『青の時代』は、主人公のモデルと旧制一高で同寮だった長岡氏の述懐が生かされた。

大蔵官僚としての大半を予算編成の前線に立った。石油危機を経て安定成長軌道への回帰と日本経済の激動とともに、予算のかたちは変わった。

転機は75年度。前年度に戦後初のマイナス成長に陥り、大平正芳蔵相は赤字国債の発行に追い込まれた。保革伯仲の参院で法案を通すために野党対策に追われたのが長岡官房長だ。借金体質から抜け出したいと、死ぬまで気に病んだ大平氏の苦悩を肌に感じていた。

79年暮れ、日本銀行総裁の交代劇では黒子に徹した。森永貞一郎総裁は日銀生え抜きの前川春雄氏を後任に、大蔵省後輩の澄田智氏はその次含みで、と考えた。次期総裁説が流れていた澄田氏に森永構想を伝えたのは、長岡次官だった。

役所生活が32年半。退官後はそれを超す歳月を元大蔵官僚ならではの仕事に費やした。日本専売公社総裁、日本たばこ産業初代社長、東京証券取引所理事長――。華麗な天下り人生である。

バブル経済が崩壊した92年、宮沢喜一政権で株価対策が浮上した。東証理事長として政府が介入する株価水準はと記者会見で問われ「株価は市場が決めるものだ」と一喝した。

肩書を持たなくなってからも兜町に近いビルの小部屋に顔を出した。子供の年ほどの財務官僚が相談に訪れた。彼らにとって包容力ある父のような存在だったとすれば、ドンの称号もあながち的外れとは言えまい。

80代のころ、腫瘍が見つかった。「先生、手術しなきゃだめですか」。主治医に聞いたら、この時は切らなくても問題ないという見立て。「医療費がかさむのを避けたいからほっとした」。ここでいう医療費は患者の支払いではなく、国の財政負担を指す。骨の髄まで財政家であった。(編集委員 大林尚)

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