/

ノーベル賞の立役者 浜ホト元社長逝去(評伝)

3月29日に亡くなった昼馬輝夫・元浜松ホトニクス社長は、東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊氏と梶田隆章氏の2人のノーベル物理学賞受賞の陰の立役者だった。小柴氏や梶田氏らが研究に取り組んできた素粒子ニュートリノは宇宙から飛来し地球を突き抜け捕捉が難しい。浜松ホトニクスが開発した「光電子増倍管」を多数使うことで初めて観察が可能になった。

浜松ホトニクス元社長の昼馬輝夫氏。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏や梶田隆章氏の研究に大きく貢献した

1979年、昼馬氏は「世界との研究競争に勝つには大きな増倍管が要る」と口説く小柴氏の心意気にこたえ、前例のない超大型の増倍管の開発に挑戦した。当時開発中の直径8インチ(約20センチメートル)の製品が最先端だったが、小柴氏から25インチ(約64センチメートル)を要求され結果的には20インチ(約51センチ)を実用化。これが2002年の小柴氏のノーベル賞受賞につながる。

それ以来、浜ホトは日本のニュートリノ研究を支え続け15年の梶田氏のノーベル物理学賞受賞に貢献するとともに、世界一を目指す研究者の要求に応えて製品性能を高め、光検出器などの世界市場での競争力を培った。

ニュートリノ実験施設スーパーカミオカンデには、浜松ホトニクスが開発した光電子増倍管が多数使われた=日経サイエンス提供

昼馬氏はキリスト教徒ではないが、福音書には「絶対的真理がある」と日本語、英語、ギリシャ語で読むのを日課としていた。小柴氏の研究室を訪れた際に壁にかけてあった宗教画を目にして「真理を追究する研究者だ」と直感。小柴氏の考え方に共鳴したという。

浜ホトの前身である浜松テレビは、地元が生んだ「テレビの父」、高柳健次郎(故人、旧浜松工業専門学校教授)にちなんで浜松工専の関係者らが創業した。昼馬氏自身も浜松工専で学び、「人類未知未踏」を持論としていた。人のまねをしない、人のやっていないことに挑戦する、を本分とした。本田宗一郎(ホンダ創業者)らを輩出した浜松地域の「やらまいか精神」にも通ずる。

31年間にわたり浜ホト社長を務め09年に長男の昼馬明氏にバトンを譲った。ベンチャー人材の育成を目指した光産業創成大学院大学(浜松市)の設立にも尽力し初代理事長を務めた。(編集委員 滝順一)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連企業・業界

セレクション

トレンドウオッチ

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン