武将の末裔、戦国時代のアジアで陣地拡大
エニーマインドグループ・十河宏輔CEO
アジアでネット広告や人材紹介を手掛けるエニーマインドグループ(シンガポール)は設立2年で10カ国・地域に進出し、急成長している。最高経営責任者(CEO)の十河(そごう)宏輔氏(30)は戦国武将の末裔(まつえい)で、口癖は「張る」。他社に先んじて陣地を張る=市場を取るとの意味だ。アジア市場は乱世まっただ中。各国に城を築くべく陣地拡大を急ぐ。

「鬼十河」の遺伝子継ぐ
高松市に十河城の城跡がある。先祖にあたる十河一存は戦国時代、「鬼十河」と恐れられた勇猛果敢な武将。子孫の十河氏も事業展開のスピードと実行力が売りだ。
一国一城の主の遺伝子からか、親類には経営者が多い。幼い頃から祖父が社長の会社に出入りし「社長ってかっこいい」と早くから起業を志していた。大学卒業後に起業するか悩んだが「新卒は人生で一度きり」とネット広告のマイクロアド(東京・渋谷)に入社した。
「目標の4倍の結果を出すから、給料も上げてほしい」。広告の直販営業をする新部署に配属され、十河氏は毎月のように上司に直談判した。売上高ゼロだった新部署は8カ月後に会社の主力事業に成長し、十河氏は2位の営業マンに倍近くの差をつけてのトップ。当時の上司は「大口をたたくだけかと思ったら、行動力やビジネスの嗅覚があった」と評する。
秘訣は「誰よりも先に金の出る所に行く」こと。資金調達をした企業はまず広告を打つ。十河氏は情報をいち早く得ると他社に発注される前にアプローチし続けた。「営業はどこに、どのタイミングで行くかが重要」。今もこの考えが基本だ。
入社3年目には東南アジアに派遣され、ベトナムをはじめ各国で事業立ち上げを経験する。エニーマインドの共同創業者で当時を知る小堤音彦最高執行責任者(COO)は「十河はあっという間に会社を設立して10カ月で黒字転換させた」と当時の驚きを語る。
現地のインフルエンサー活用
エニーマインドの前身企業を立ち上げたのは29歳だった2016年。アジア6カ国で事業拡大を経験するなか、現地のIT(情報技術)市場の成長性を実感。マイクロアドの役員にも就いていたが、「起業するなら早いほうがいい」と考え、海外展開しやすいシンガポールで起業した。
交流サイト(SNS)でフォロワーの多い一般人(インフルエンサー)を、広告宣伝に使いたい企業と直接マッチングするビジネスが主力事業だ。航空会社や食品メーカーが制作する現地のCMや広告に低コストで起用し、SNSで拡散してもらう仕組みだ。
多国展開を武器に、アジア各地に拠点を持つグローバル企業を顧客に取り込み、「スタートアップの壁」とされる売上高10億円をあっという間に超える。現在は28億円だ。
新規参入が難しい日本の広告業界にも逆進出。「泥臭い営業」(十河氏)で、設立初年度にして全日本空輸(ANA)や江崎グリコなど大口起業との契約にもこぎつけた。
起業家の最大の悩みは資金調達だが、十河氏は「ビジネスモデルに自信があり、出資を受けるつもりはなかった」。それでもジャフコアジア、Gunosy(グノシー)などが出資を要請。「設立間もない会社に投資価値があるとみてくれた」(十河氏)ことを意気に感じ、約15億円の出資を受け入れた。
十河氏のもとには多士済々の人材がはせ参じる。日本支社長にはグーグル日本法人で営業部隊を立ち上げた小川淳氏、最高人事責任者には元マイクロアド取締役の西山明紀氏がそれぞれ就任。彼らは「事業モデルと拡大のスピード、十河の実行力にひかれた」と口をそろえる。
「失敗もたくさんした」と振り返る十河氏。それでも「根が超ポジティブなので、『改善できるからいいでしょ』と深く落ち込むことはない」。
いま気にかかるのは急成長に伴う組織のひずみだ。創業2年で社員は270人を超え、18年末には400人規模になる見通しだ。それが10カ国・地域の11拠点に分かれ、社員との向き合い方が難しくなってきた。「あの時こう言えば良かった」「このやり方は良くなかった」と、週に3カ国を飛び回ることも珍しくない中でひとり自省する。
その分、経営者として心がけているのは「できるだけ会社にいる」ことだ。会食のあとでも歩いて自社に戻り、現地の幹部社員と意見交換を欠かさない。土日もオフィスに出て戦略を考える。
直近の目標は新規株式公開(IPO)だ。「もう一段上にいきたい」。意識するのは戦略から企業文化まで参考にするというアリババ集団や騰訊控股(テンセント)だ。
「一度やり始めたら達成できるまでやり続ける」ことが信条。社員や取引先に向けて一度約束した目標は必ず達成するという。現代の武士にも、二言はないようだ。
(企業報道部 宮住達朗)
[日経産業新聞 2018年3月28日付]
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