/

米大にスポーツ留学、競技力と英語力向上で「文武両道」

米国の大学にスポーツ留学を目指す動きが活発化している。国際的に競技力の高い環境で試合経験を積んでプロ選手への可能性に挑戦するだけでなく、英語力の向上と学業の研さんを同時に目指せる利点がある。日本人の学生選手を対象にした奨学金や留学支援会社もあり、日本人学生選手が活躍するための環境は徐々に整っている。

セレクションでは米国の大学女子サッカー部コーチの指示で参加者が練習にも取り組んだ(18日、長野市)

「右側、こっちにボール出して」。長野市の陸上競技場は女子サッカー選手の熱気にあふれていた。今月17、18日にあった米国の大学への進学を目指す選手のセレクション。米国の5大学から奨学金の可否を判断する5人のコーチが訪日し、高校生を中心に全国から46人の選手が参加して技術を競った。

中学時の米国遠征で米大でのプレーに関心

U-17の日本代表経験を持つDFの根津茉琴さん(17)は、中学生で米国に遠征して米大でのプレーに関心を持った。「競技力を向上させる施設や環境が整い、プロを目指せる。英語で学べば、将来は国際的な仕事にも就ける」と語った。

U-17の日本代表経験を持つ根津さんは競技だけでなく、学業でも米国の大学に関心を寄せる

ケンタッキー大学アシスタント・コーチのジェイソン・グッドソン氏は「技術力が高く、素早い選手が目立った。少なくとも4選手には奨学金を提示したい」と述べた。

セレクションを主催したのは米カリフォルニア州に拠点を持つサンディエゴ・スポーツ・オーソリティー(SDSA)。グループに語学学校やプロサッカーチームを抱え、日本人の山内周司氏が代表を務める。山内氏は「選手としての成長、将来の指導者としての勉強だけでなく、社会のリーダーとなる訓練ができるのが米国の大学だ。5年後には20校に20選手を送り込めるようにしたい」と展望する。

野球留学の支援を得意とするのはアスリートブランドジャパン(東京・千代田)だ。毎年15~20人程度の留学を支援している。過去の留学生には日本のプロ野球や社会人野球に進んだ選手もいる。一定程度のレベルの高校の野球部で3年間練習を積んだ選手ならば「活躍の場がある米大を探すことはそれほど難しくはない」(根本真吾社長)という。

 2003年の創業当初はプロ志向の学生選手も多かったが、最近は「進路の一つとして米大を考える選手が増えている」(根本社長)。野球を売りに進学しても「実際には学業を重視して一流大学に転校する例もある」。

近年、米国の大学に進学する日本の有力アスリートが目立つ。男子バスケットボールでは日本代表の八村塁選手(ゴンザガ大)、陸上ではサニブラウン・ハキーム選手(フロリダ大)が代表例だ。

米国の大学の特徴は、こうした世界的にみてもトップレベルの選手といえど、競技だけに専念するわけにはいかない点だ。一定程度の学業成績を修める必要があり、規定を下回れば試合や練習に参加できない仕組みだ。必然的に文武両道を求められる環境にある。

授業では教授、チームでは監督やチームメートとの交渉も重要になるため、英語力に加えて「コミュニケーション能力も選考の大事な要素」(アイダホ州立大学ヘッドコーチのアリソン・ギブソン氏)となる。

学費と英語力が課題

米国の大学へのスポーツ留学は「競技力の向上という明確な目標がある分、成功しやすい」(SDSAの山内代表)といえる。

米国では大学の運動部に所属する選手の数は限られる。スカウト以外の一般入部は例外という位置づけで、サッカーの場合には4学年合わせて30人程度だ。日本の強豪校では数百人所属する場合もあるが、米国ではいったん部に入れば試合に出場できる可能性はかなり高い。

仮に選手として大成できない場合でも、勉学に力を入れていれば英語力などを身につけることができ、将来の進路の幅は広がる。

一方で学費と英語力という課題は一般の留学と共通している。せっかく運動部から奨学金の提示を受けても、英語力が入学基準に満たないために1年間、語学学校で研修するケースもある。

4年制大学ならば年間経費は300万~700万円は必要となる。高額だが、仮に入学時に奨学金を得られない場合でも、4年間のうちには「学費の一部をカバーする何らかの奨学金を得られる可能性は高い」(サッカー留学を支援するナオキャッスルの仮屋祐貴氏)という。

2年制大学の場合の年間経費は150万~300万円程度で抑えられるため、いったん2年制に進学し、4年制大学からのスカウトを待つ方法もある。

「厳しい競争が将来への道に」(バスケットの松井啓十郎選手)

米国の名門コロンビア大のバスケットボール部で正選手として活躍した日本人がいる。現在はシーホース三河に所属する松井啓十郎選手だ。元日本代表で、現在もプロリーグの第一線で活躍する松井選手に、米国の大学に進学した理由や利点、スポーツと学問をどのように両立したかなどについて聞いた。

松井選手はチームメートの協力を得て勉強と両立した

――米国に留学したきっかけは何ですか。

「小学校1年生でバスケを始めた。父親から『どうせやるなら世界トップの米国を目指せ』と言われた。小学生だった1996年にスター選手のマイケル・ジョーダン氏が来日して、1対1で対戦する機会を得た。それで米国に行きたいという気持ちが強くなった」

「中学校1年の1学期だけは日本の学校に通ったが、その後は英語の勉強のためにインターナショナルスクールに2年間通った。夏休みは米国の高校が主催するキャンプに参加して準備して、全米で毎年上位25校には入るモントロスクリスチャン高(メリーランド州)に進学した。世界でリクルーティングしており、アフリカ、南米、欧州から留学生がいた。競争は厳しかった。身体が小さく、運動能力も乏しい私は、自分の強みを考え、伸ばしていくことが必要だった。最終学年ではスタメンになり、全米で上位20位前後に入った」

――大学の進学先はどのように決めましたか。

「進学先はギリギリまで悩んだ。3つ条件があった。試合に出場する機会があること、次のキャリアも考えて学業もしっかりしているところ、東京出身だったので都会にあることだ。それを満たしたのがコロンビア大(ニューヨーク)だった」

「実際に公式見学に行ったのは全米大学体育協会(NCAA)1部のコロンビア大とデビッドソン大(ノースカロライナ州)だった。コロンビア大はヘッドコーチが東京の実家を訪問して勧誘してくれた。大学見学の際には大リーグ・ヤンキースの球場に行く予定が入っており、当時所属していた松井秀喜選手と話した。その様子は次の日のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。本気度を感じた。マイケル・ジョーダン氏が卒業した強豪ノースカロライナ大からも誘いは受けたが、はっきり『主力にはなれないかもしれない』という言い方だった」

――大学生活では何が大変でしたか。

「インターナショナルスクールに通い、高校は米国で卒業したとはいっても英語力には課題を抱えていた。共通科目では比較的成績が取りやすいクラスを受講したり、部が雇う家庭教師を活用したり、チームメートにリポートをチェックしてもらったりした。バスケ部は毎日、午後1時から4時に練習し、その後1年生は夜8時から10時まで全員で勉強する決まりだった。本当にきつかったが、チームが後押ししてくれた」

「コロンビア大の所属するアイビーリーグではNCAAのルールより厳しい評点(成績)を取るように求められていた。簡単ではなかったが、4年間で3.0と、クリアできた」

――卒業後の進路はどのように考えましたか。

「大学3年生のときにニューヨークにある三井住友銀行でインターンを経験した。ウォール街に就職することも考えたが、金融業界にはバスケ引退後でも行ける。日本代表になる夢もあったので、日本でプロ選手になった」

「高校生の頃は米プロバスケットボール協会(NBA)にいけると思っていた。ただ実際に近づけば近づくほど、遠いのが分かった。大学のリーグ戦に出場していると、この選手はNBAに行ける、行けないというのが肌で分かってくる。いったん日本に戻ってからでも遅くはないかなと考えた」

――将来的な進路はどのように考えていますか。

「できる限り長くプロでプレーしたいと思っている。自分が移籍時には苦労したので、引退後は選手の代理人も考えている。次の世代の選手が米国留学しやすくなる仕事にも関心はある。まだまだ米国に行く選手が少なすぎる。他のアジアの国からの留学生はもっと多い。日本人も高校から留学してもよいと思う」

――当時のチームメートは今どのような仕事をしていますか。

「NBAに就職した人もいるし、解説している人もいる。後輩にはドイツ代表の選手もいる。身長2メートル超のナイジェリア人の留学生は外科医になっているし、金融界、ファッション界、不動産業界に就職している人もいる。多くの人がニューヨークで働いている。現役の選手は珍しいかもしれない」

――米国に留学する利点は。

「厳しい競争世界でもまれる経験が将来の様々な道につながる。自分の頭で考えて、上手にならないといけない。それはバスケだけではなく、人生でもいきてくる。例えば社会人は仕事で自分の得意な分野を見つ出さなくてはいけない。人生の良い教訓を学べた」

(聞き手は国際アジア部 宮本英威)

松井啓十郎氏(まつい・けいじゅうろう) 小学生でバスケットボールを始める。父の勧めで米国のモントロスクリスチャン高(メリーランド州)に留学し、コロンビア大に進学。2005年11月、日本人男子で初めて、米プロバスケットボール協会(NBA)予備軍がそろう全米大学体育協会(NCAA)1部でプレーした。3年時にはアイビーリーグで3点シュート成功率で1位となった。09年からは日本でプレーする。JBLレラカムイ北海道、トヨタ自動車アルバルク東京などを経て、現在はシーホース三河に所属。シューティングガードで、3点シュートが得意。元日本代表。愛称は「KJ(ケイジェイ)」。身長188センチ、体重85キロ。東京都出身。32歳。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連トピック

トピックをフォローすると、新着情報のチェックやまとめ読みがしやすくなります。

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン