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冷戦の遺産、IT化の礎に

森ビル・アークヒルズの地下に「都市塾」

1980年代の終わりのこと。大型複合施設、アークヒルズ(東京・港)地下4階で準備が進んでいた核シェルターの建設計画が消えた。マルタ会談で米ソ首脳が冷戦終結を宣言、世界を核爆弾による放射能が覆う恐怖が少し遠のいたからだった。

核シェルターを持ち掛けたのはある大手ゼネコン(総合建設会社)。「アークヒルズは政財界の要人が集まる場所。万が一の場合に備えてシェルターを造りませんか」――。水面下で検討が進んだが冷戦終結でその必要はなくなった。

世界の緊張が緩むのは歓迎すべきこと。ただシェルターの空間が宙に浮いた。「いったいどう使おうか」。森ビルの創業者、森泰吉郎とその長男の森敬、森稔らの間で検討が始まった。

ちょうどその時、森ビルでは日本を担うビジネスマンや官僚、政治家向けの勉強会を立ち上げようとしていた。「アーク都市塾」。時代の最先端の知識を幅広く取得できる塾だった。

そんな時期に「インターネット時代がいずれやってくる。IT(情報技術)をやろう」と提案したのは慶大理工学部の教授で計量経済学の専門家である森敬だった。80年代といえばまだ自動車電話や携帯電話も普及していないころ。「IT」と言ってもまだピンとくる人の方が少なかった。

しかし、森敬は明快だった。「米国防総省が開発してきたコンピューター通信網、インターネットは冷戦が前提だった。しかし、その冷戦は終わった。軍事目的で研究が進んできたインターネットの技術はいずれ段階的に譲り渡されていくことになる。電話、ファクシミリに比べ圧倒的に利便性が高いインターネット、ITの時代が必ず来る」

面白い話がある。戦時中、森泰吉郎とその一家は戦禍を逃れるため京都に疎開していて終戦をラジオで知った。ちょうどその時、近所の女性たちが森家に集まっていて「米兵に乱暴されるのではないか」とおびえて泣き始める人もいたが、泰吉郎がきっぱりこう言ったのだという。

「米国はこれからは共産主義国と対峙していかなければならない。そうなれば日本を大切にするはず。大丈夫だ」。米ソ冷戦体制を予見していたのだ。泰吉郎は学者だったが、厳しい情報統制のなかで世界の潮流を見据えていた。

全体を把握しながら「次」を的確に予測する。その力は森家のDNAに組み込まれたものだと言えるが、実際、この時も森敬のインターネット時代到来の予言が的中した。ITとは対極の位置するはずの不動産会社でありながら森ビルは産業界のなかで先陣を切ってIT化を進めていった。アーク都市塾はそのエンジンとなった。

キノコ型に挑戦

そのアーク都市塾に都市コンサルタントをしていた矢部俊男(現・森ビルメディア企画部部長=56)がやってきたのは1994年のこと。米のアップルのマッキントッシュを学ぶためだ。もともと手書きの文字が汚くマッキントッシュの存在を知った時「これだ」と思った。「当時、マッキントッシュを教えてくれるのはアーク都市塾だけ」。迷わずその門をたたいた。

入塾すると矢部はたちまち独創性の高いマッキントッシュの世界に魅(み)せられた。ITの技術をどんどん吸収していく矢部に当時、社長だった森稔が目をつけ森ビル入社を持ち掛けたのだった。

「元麻布ヒルズの完成形を模型でつくってみせてくれ」――。森ビルに入社した矢部に対する森稔の最初のリクエストはこれだった。当時、森稔は高級住宅街である元麻布で大型プロジェクトに着手、様々なパターンを検討していたが、そのうちの1つがキノコ型の高層ビルの建設だった。

キノコ型といっても形は様々。固まっていたのはビルの上の方が膨らみ、下は細いという基本コンセプトだけだった。なだらかな曲線にするのか、直角でいくのか、上の出っ張りをどれくらいにするのか、何も決まっていなかった。

「ここはこうかな」「もう少し出っ張りを抑えて」――。森稔の要請に応え矢部は25種類もの模型を作った。小さなCCDカメラを使って元麻布ヒルズを下からなめ上げてみたり、遠くから眺めてみたり……。「ビルのことを何から何まで知りたいんだな」。矢部はそう思った。

風当たりは当然

森稔はとにかく東京の街を変えたがった。開発者として世界に恥ずかしくないビルをつくることに使命を感じていた。元麻布ヒルズの建設もその1つだった。お手本はイタリアのミラノにあった。根っこが細い分、ビルの近くにある住宅が日陰になる時間が通常のビルよりも短くなる。「いい発想だ。日本でも試してみたい」。森稔は夢中になった。

しかし、それはいくら口で説明しても理解はしてもらえなかった。そこで思いついたのが模型だった。森稔は矢部がつくった模型を手で示しながら関係者にそのメリットを説いてまわった。「新しいことをやるなら風当たりがあるのは当然、しかし、強い風当たりを避け続けていれば街づくりは進化しない」

その森稔の姿は今の社長、辻慎吾とどこか似ている。今年3月8日、森稔の命日に辻は社員を集めこう訓示した。「既成概念に縛られず新しいことに挑戦してほしい」。傍らに森稔がいるようだった。    =敬称略(企業報道部 前野雅弥)

[日経産業新聞 2018年3月19日付]

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