豪、多文化主義の危機(中国化進む世界)
各国から移民を受け入れ、様々な文化を尊重する「多文化主義」を掲げてきたオーストラリアが転機を迎えている。移民増加などを背景に中国の影響力が高まり、中国に対する疑心が強まっているのだ。

3月14日、シドニー州議会内の会議室は異様な雰囲気に包まれていた。中国共産党が豪州の政界や学界に影響を行使している実態を指摘したチャールズ・スタート大のクライブ・ハミルトン教授の新著「静かなる侵略―豪州での中国の影響」の出版発表会。約100人の聴衆の顔ぶれはアジア系が多い。暗い室内にもかかわらず、聴衆の一人の女性はサングラスを一瞬も外さなかった。ビデオで参加者の顔をしきりに撮影する男性もいた。
「この発表会のため、勇気を持って会議室を予約してくれた議員に感謝する」と著者のハミルトン氏は口火を切った。中国の人権問題に批判的な「緑の党」の議員が会の発起人となったが、「反中」との批判を恐れる党内の反対にあって発起人を辞退。別の議員が代理で発起人を買って出て、ようやく開催にこぎつけた。
同書の出版も幾度も拒否された。大手出版社、アレン・アンド・アンウィンは2017年11月、「弁護士の助言に基づく」として出版を延期。不買運動やサイバー攻撃を恐れたとみられる。次に著者が本を持ち込んだ出版社も中国の報復を懸念し出版を自粛したという。最後に独立系の中小出版社が出版に応じた。「豪州の知識人を黙らせようとする中国政府の圧力は増している」とハミルトン氏は話す。
16年の国勢調査によると、中国系豪州人は121万3903人で人口の3.9%に上る。彼らの共産党に対する考えは様々だ。豪州で生まれ育ち、共産党の指示に違和感を持つ人もいる。聴衆の一人は「私は外見は中国人だがオーストラリア人だ。言論の自由を守るために参加した」と話した。
16年にはこうした中国系豪州人が市民団体「豪州の価値を守る連盟」を発足。大学で学ぶ中国人学生に言論の自由などを教えるよう求めている。それでも17年にはシドニー大やニューカッスル大などで、中国からの留学生が教員を糾弾する事件が相次いだ。理由は(1)中国が国と認めない台湾を教員が「国」と言った(2)中国が領有を主張する地域がインド側に含まれた地図を授業で使用した――などだ。地元紙は「大学に中国のイデオロギーが押し寄せている」と報じた。
政界でも中国の影響力が高まっている。17年11月には野党・労働党のダスティアリ議員が中国人実業家から金銭支援を受けた見返りに、南シナ海問題で中国の見解をなぞる発言をしたことが判明。これを受けて同年12月、ターンブル首相は外国人からの献金を禁じる法案を提出すると発表した。ボブ・カー元外相は、中国人富豪による寄付でシドニー工科大が15年に設立した「豪中リサーチ研究所」の所長を務め、「ベイジン(北京)ボブ」の異名で呼ばれる。
豪州の投資家向け移民制度は米国に比べ緩い。12年には連邦債などに約5億円を投資すれば永住権の申請資格を与える制度を導入した。取得者の87%が中国人だ。足元で加速するヒトの流入は地域社会にも波紋を呼ぶ。
シドニーの中心部から北へ約10キロメートルのチャッツウッド。中国系住民が34%を占め、中国語の看板を掲げた食品店が並ぶ。中国文化を教える教育機関「孔子学院」があり、中国語のミニコミ誌も5種類を数える。1990年代後半から中国系移民が急増。古くからの住民は「街は急激に変わった。ハリケーン来襲のようだ」と話す。
15年の就任当初は「親中派」と目されたターンブル首相は過去1年で対中姿勢を大きく変えた。17年4月、永住権申請につながる就労ビザの発給条件を厳しくする方針を発表。外国投資への規制も強め、18年2月には外資への農地や電力インフラの売却に「国益に反しない」との条件をつけた。地元紙は政府が次世代通信規格「第5世代(5G)」の通信設備への参入を図る華為技術(ファーウェイ)に関し、国家安全保障の観点から調査する方針と伝えた。
想定を上回る中国系移民が押し寄せ、古くからの住民との摩擦が強まる豪州。「多文化主義」ゆえのジレンマが強まっている。
(シドニー=高橋香織)