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「米の虎の尾を踏んだ」(田中角栄のふろしき)

小長秘書官の証言(14)

ポトマック河畔に大きな拍手が響いた。1973年9月27日、日本の首相田中角栄がフランスの首相メスメルと手を結んだその日である。角栄とその秘書官、小長啓一にとって因縁の男と言っていい人物が外交の檜(ひのき)舞台に躍り出てきた。

黒塗りリムジンの公用車でさっそうと現れた因縁の男の名前はヘンリー・キッシンジャー。ニクソン大統領の訪中など70年代の米外交を主導した男だ。

この日、キッシンジャーは国務省長官として初登庁、正面ロビーでは約50人の事務員たちが出迎えた。世界が注目する米外交を立案する主役のポジションを射止めたキッシンジャーを万雷の拍手がたたえた。

しかし、キッシンジャー初登庁の日に角栄とメスメルがかわした握手は、日本とフランスで歩調を合わせ米国に対抗軸を打ち出すことを意味した。大西洋を挟んだワシントンの向こう岸で、米一極支配のエネルギー供給体制を突き崩す日本とフランスの構想が動きだしたのだった。

このあと、次第に対立していく角栄とキッシンジャーの関係を考えれば、実に暗示的だった。

ただ、すでにこの時点でキッシンジャーの角栄に対する感情はかなりこじれていた。

伏線は72年8月31日。この日、ニクソンの大統領補佐官を務めていたキッシンジャーは、首相になったばかりの角栄と米大統領ニクソンとのハワイ会談に同席する。そして日本が中国と国交正常化を目指し準備を進めていることを知らされるのだった。

「最悪だ」。ほんの7カ月前までニクソンの電撃訪中を演出、得意の絶頂にあったキッシンジャーだ。その上を行く角栄の素早い動きに中国外交の主導権を奪われ、不満を漏らした。

確かにキッシンジャーが不満を持つのも分からないではない。角栄の日中国交正常化は米国を完全に逆撫(な)でした。

当時、米国はベトナム戦争で経済が疲弊、ソ連と中国の双方を敵に回して置くのが難しくなりつつあった。そこでまずは中国から切り崩し、米国主導で中国を国際社会に引き入れるシナリオを描いたのだった。

キッシンジャーは71年7月、パキスタンから中国入りし極秘裏に首相だった周恩来と会談、10月には「米国は『台湾は中国の一部である』とする中国側の主張に反対をしない」ところまで話し合いを進めた。そしてその上でニクソンの電撃的訪中。キッシンジャーが周到に進めた準備が見事、実を結んだ。

ただ、キッシンジャーの頭のなかでは米国と中国の国交正常化はさらに後だった。もっと順を追い、時間をかけ段階的に進めていく算段だった。ところが角栄はこのキッシンジャーのシナリオを一気に飛び越え日本と中国との間で国交を正常化してしまった。当然、キッシンジャーの角栄に対する心証は良いはずがなかった。

もちろんこの時、角栄はフランスとのエネルギー会談の真っ最中。キッシンジャーの登場に心を配る余裕はなかった。のるかそるか。フランス首相、メスメルの出方に全神経を集中させていた。何せ角栄が長年、悲願としてきた「エネルギーのメジャー支配への風穴」が本当にあけられるかもしれないのだ。

幸運なことに交渉相手のフランスは日本とがっぷり四つに組みたがっていた。メスメルは日本とフランスはエネルギー事情が似ていることを理由に特別な関係を結びたいと言ってきていた。日本も本音のところではフランスとは組みたい。問題はどこまで組むか。

角栄は慎重だった。まず、いったん「日本はある特定国との関係を強化するのではなくあらゆる国と等距離のエネルギー政策をとる」とフランスをかわす。そのうえで「近東など第三国での石油の共同開発」「ウラン鉱石の開発」について合意した。

すでにこの時、石油開発では東カリマンタン、北スマトラ、アブダビ、コロンビアなどでプロジェクトが動いていた。いくつかは日仏で共同開発する方向で進んでおり、近東など第三国での石油共同開発もこの方式を踏襲すればよかった。

ウラン鉱石もそう。ニジェールでの天然ウラン開発については日本とフランスの間で話が動き始めていた。角栄はそうした動きをつぶさに把握していた。「ここまで踏み出して問題ない」。メスメルと手を握った。

ここまではよかった。角栄もここで止めておけばよかった。

しかし、メスメルが突っ込んできた。濃縮ウランの分野でも手を組もうと持ち掛けてきた。ちょうどこの時、フランスはイタリア、スペイン、ベルギー、スウェーデンと共同でガス拡散方式による濃縮ウランの加工工場の建設準備に入っていた。メスメルは「これに日本も入らないか」と誘ってきたのだった。

米国との同盟関係にある日本にとってとても乗れない話。ガス拡散方式によるウラン濃縮は場合によっては核兵器の製造にまでつながるからだ。

天然ウランに0.7%しか含まれない「235」はその濃度を3~5%にまで高めるところでとどまれば原子力発電の燃料。しかし、これをさらに100%にまで高めるとウラン型核爆弾の材料となる。だからこれまで日本はウラン濃縮は全面的に米国に委託してきていた。さすがの角栄もここは踏みとどまった。

「日本の原子力政策は対米協調を基軸としており、先の日米首脳会談でも濃縮ウランの『第4工場』を日米合弁で建設することになっている」

しかし、メスメルは食い下がってきた。「では、フランスが加工する濃縮ウランを日本が買い取るのはどうだ」。これに対する角栄の言葉に周囲は息をのんだ。

「どの程度か量は言えないが、将来濃縮ウランの加工をフランスに委託する用意がある」

「この言葉が米国の虎の尾を踏んだのでは……」。小長は今、そう思う。

=敬称略

(前野雅弥)

小長 啓一氏(こなが・けいいち)1953年(昭28年)3月岡山大法文卒、通産省入省、70年企業局立地指導課長、71年7月に田中角栄通産相の秘書官、72年から田中首相秘書官、82年産業政策局長、84年通産省事務次官、86年通産省を退官。91年にアラビア石油社長。岡山県出身。

この連載は原則、月曜日に掲載します。

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