2018年6月23日(土)

春の風物詩イカナゴ 実は新顔(もっと関西)
とことんサーチ

コラム(地域)
2018/3/15 17:00
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■くぎ煮普及 漁協女性の愛

 イカナゴの稚魚、シンコの漁が播磨灘と大阪湾で2月下旬に解禁され、瀬戸内の港町はとれたてを甘辛く煮た「くぎ煮」で沸いている。鮮魚店ではイカナゴを求める客が列をなし、家庭の自慢の味が全国各地の親族や知人の元へ贈られる。今では春の風物詩として知られるが、広まったのはそう古い話ではないという。くぎ煮が食文化として定着した理由を探った。

 「イカナゴ入りましたよー」。漁が解禁された2月26日、神戸市垂水区の鮮魚店にはイカナゴの籠が積み上げられ、人だかりができていた。「5キロ下さい」「私は7キロ」。1キロ2千円前後と安くはないが、飛ぶように売れていく。3キロ買った主婦(84)は「遠方の息子たちが待っている」とほくほく顔で家路を急いだ。

 イカナゴはスズキ目イカナゴ科の魚で、くぎ煮の由来はしょうゆや砂糖と煮詰めた見た目がクギに似ていることからとされる。播磨灘の海底に産卵に適した砂地があり、2016年の兵庫県の水揚げ量は約1万1千トンで全国の5割強を占めた。シンコの漁期となる毎年2~4月ごろ、海沿いの町はしょうゆの香りが漂い、郵便局には地方発送用のレターパックが並ぶ。

 熱気はどこからくるのだろう。史料を調べると、兵庫県沖のイカナゴ漁の記述がさかのぼれるのは江戸時代前期。くぎ煮は1935年に神戸の料理人が発行したグルメ本「滋味風土記」に「釘(くぎ)煎り」として登場し、垂水区や同市長田区の漁業者の逸品として紹介がある。「ただ長い間、一般の家庭で作られることはありませんでした」と、神戸市漁業協同組合女性部部長の井上二三枝さん(69)が教えてくれた。

 イカナゴは80年代まで加工業者の需要を超える分が養殖魚用のエサなどに回され、地元漁協にとって市場価値の低さが悩みだった。一案を思いついたのが漁師の妻らでつくる漁協の女性部。「漁家に伝わるくぎ煮の味が伝われば、イカナゴも売れるようになるはず」と89年、調理方法を教える講習会を初めて開く。

 しかしレシピは女性部の中でもばらつきがあり、後日参加者から「うまくできない」という悩みも聞かれた。井上さんらは「誰が作っても失敗しないように」と統一レシピを研究。講習会は口コミで広がり、当初数人だった参加者は多いときで300人に上った。

 やがてくぎ煮は全国に知られるようになる。「きっかけには阪神大震災もあるでしょう」と話すのは、くぎ煮も手掛けるつまみ製造会社、伍魚福(神戸市長田区)社長の山中勧さん(51)。震災の復興支援のお礼として、くぎ煮を各地へ贈った人も多かったという。同社も名産品をもり立てようと「いかなごのくぎ煮振興協会」を立ち上げ、様々なイベントを開いている。

 努力が実を結び、イカナゴの市場価値は上向いている。県内のイカナゴ漁の年間漁獲金額を水揚げ量で割って求めた1キロ当たりの平均価格(浜値)は80年代まで100円を割り込むこともあったが、近年は数百円台で推移。不漁の年は千円を超えることもある。東京海洋大の中川雄二教授(食品流通論)は「需要を呼び起こし価格安定につなげる試みとしては数少ない成功例。神戸という大きな消費地に近いことも奏功した」と指摘する。

 愛情は世代を超えて受け継がれ、くぎ煮にまつわるエッセーや俳句などを表彰する振興協会主催の「文学賞」には若い世代からの応募も多い。神戸市の高校1年生は「くぎ煮炊く 母との会話 味わって 顔知らぬ祖母へ 想いをはせる」と詠み、千葉県の小学2年生からは「神戸のおばあちゃんが作ってくれたくぎ煮で大きくなりました」というエッセーが届いた。

 3月上旬、漁協女性部の調理講習会に記者も参加した。鍋から目を離さず強火で煮続け、箸でかき混ぜないのがポイントという。出来たては軟らかくておいしく、誰に贈ろうかと思案するのも楽しい。取材を通じて、すっかりくぎ煮に魅せられてしまった。

(大阪社会部 村岡貴仁)

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