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「青い稲妻」再び 独立リーグ滋賀監督に松本氏

オールドファンには懐かしい人物が関西に帰ってきた。プロ野球巨人で不動の1番打者として活躍した松本匡史氏(63)が今季、独立リーグ「ルートインBCリーグ」の滋賀ユナイテッドの監督に就任。12年ぶりの現場復帰に心躍らせている。

2017年12月の監督就任記者会見で「やるからには滋賀のため、選手のためにやりたい」と抱負を述べた。同リーグは東北や関東、北信越から計10チームが参加。唯一の関西勢の滋賀は昨季、5チームからなる西地区で前期が4位、後期は最下位だった。松本氏は「勝てないチームは何か(原因が)ある。その何かを探し当てて、勝てるチームにしていきたい」と4月7日開幕の今季を見据えた。

監督就任会見に臨んだ松本氏(右)(17年12月、左は鈴木代表)

兵庫・報徳学園高、早大を経て1977年、ドラフト5位で巨人に入った。当時は長嶋茂雄監督の第1期政権のまっただ中。79年秋、同年の5位からの反攻を期した青年監督が静岡・伊東に江川卓、中畑清ら若手を集めて鍛え上げた「地獄の伊東キャンプ」は今も語り草で、松本氏もそのメンバーにいた。

右打者だった松本氏はこのキャンプでスイッチヒッターに転向した。必死の思いで左打ちを習得すると、81年に115試合に出場、規定打席には達しないながらも打率3割3厘をマークした。俊足の1番打者として打線をけん引し、82年には61盗塁で初めてタイトルを獲得。83年の76盗塁は現在もセ・リーグ記録として残っている。青の手袋を着用したことでついた「青い稲妻」の異名通り、鮮烈な走りでファンを魅了した。

巨人でコーチや2軍監督を務め、06年に楽天のヘッドコーチを退任してからは現場から離れていた。解説者などの仕事をする中、滋賀の鈴木信哉代表から監督就任の要請が来たのは昨年夏。ただ、自身の年齢や、独立リーグについての知識が乏しいことを考えると、すぐには返事ができなかった。3カ月ほどかけて熟考した末に受諾を決断。最後は「もう一度ユニホームを着て、若い人を教えたい夢」が背中を押した。

兵庫県尼崎市出身。「二度と関西には戻れないんじゃないかと思っていたが、これも縁」と腕まくりする。長年、巨人の2軍で指導した経験上、若い選手への接し方は「言葉をいかに選んでやるかが大事」と心得る。得意分野である走塁面の強化で上位進出を目指すとともに、一人でも多くの選手を日本野球機構(NPB)のチームに送り込むことが目標。「これが最後のユニホームだと思って」新天地でも疾走するつもりだ。

(合六謙二)

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