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カーリング女子、長野から20年 大輪の銅

地域支えるチーム 世界で躍動

カーリング女子の日本が24日の3位決定戦で英国に5-3で勝ち、銅メダルを獲得した。1998年長野五輪で正式種目となってから6大会連続出場で届いた表彰台。チーム創設8年で成し遂げたLS北見の快挙の礎には、日本女子が世界に挑み続けた20年の歴史がある。

「チーム名はマリリンズも考えたけど、きついかなと。目標はチーム青森です」。2010年夏、本橋麻里は青森から地元に戻って新チーム「LS北見」をつくった。その決断と努力なしには今回のメダルはありえないが、本橋にも手本はあった。

24日、英国を破り銅メダルを獲得したカーリング女子日本代表の選手ら=山本博文撮影

代表格は02、06、14年と3度五輪に出た小笠原歩だ。地域が支える形のカーリングチーム、チーム青森の創設メンバーとなり、同郷の本橋を青森に導いた。結婚・出産を経た後は北海道銀行の選手としてカムバック。トリノ五輪で「カーリングブーム」の火付け役となった先駆者が身をもって示し、道をつくった。

今、日本には複数の強い女子チームがある。その一つ、中部電力にいた藤沢五月の前に立ちはだかったのも小笠原だ。14年ソチ五輪の代表決定戦で敗れた藤沢は、失意の末に成長を求めてLS北見へ移籍した。メダルをつかんだ藤沢が言う。「先輩たちを超えようと努力してきたからこその結果だと思う」

もう一つ、結実には明快な答えがある。「日本が強くなった一番の理由は、通年型のカーリング場が各地にできたからですよ」とは日本カーリング協会の柳等強化委員長の言葉だ。

北海道銀行の拠点、札幌に12年、「どうぎんカーリングスタジアム」ができた。13年にはLS北見の地元に「アドヴィックス常呂カーリングホール」がオープンし、藤沢がいた長野県軽井沢町にも13年に「軽井沢アイスパーク」が完成。それぞれがホームリンクを持って競い合う世界が生まれた。五輪に出続けてきたから支援が広がったわけで、実力で勝ち取ったものだ。

藤沢は「中部電力の5年で私は成長できた。世界での戦い方を長岡はと美コーチに教わった」とかつての指導者にも感謝する。男子のSC軽井沢クを率いて平昌に来た長岡コーチは、1日10時間も氷上に立つ情熱の人だ。この指導者の原点は長野五輪にある。

長野に記録員として参加した長岡コーチは言う。「記録員も戦術への理解が必要なので、教わる機会があった。その時、世界のカーリングと日本のカーリングは違うと知った」。ストーン(石)をハウス(円)内にためる攻撃的スタイルを身につけなければ、強国に対抗できない。20年前に得た確信が、藤沢を世界へ羽ばたかせた。

地元の長野五輪が物語の始まりだとすれば、実を結ぶのに20年かかった。選手、コーチ、関係者の果てしない努力の先にしか快挙がないことも、LS北見の銅メダルは教えてくれる。

(田中克二)

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