お笑いタレント・矢部太郎さん ヘタウマ好き父の影響

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はお笑いタレントの矢部太郎さんだ。
――初の漫画「大家さんと僕」を出版しました。お父さんは絵本作家ですね。
「父は美術系の学校を出て、自動車メーカーでデザインをしていたんですが、絵本や紙芝居を描き始めたみたいです。東京都東村山市の都営住宅で家族4人暮らし。庭に8畳ほどのプレハブを建てて、そこが父のアトリエでした」
「いろんな絵の具や筆があって、資料や絵本が棚にいっぱい。図書館と同じぐらいあったんじゃないかな。学校から帰るといつもお父さんがいて、読みたいだけ絵本を読めた。絵が完成すると『どうだ?』と見せてくれて、子どもとしては幸せな環境でした」
――地域の子どもたちにも人気があったそうですね。
「子供向けの造形教室を主宰していて、牛乳のキャップとストローで車のようなものを作ったり、廃品を集めていろんな工作をしたりしてましたね。時には、子どもたちを連れて多摩川の河原に行き、縄文時代をまねて粘土の土器を焼いたり、ツクシを採ったり。友達のお父さんとは違うなって思ってました」
――芸能界入りには。
「何も言わなかったです。自分が好きなことをやっているので、いいんじゃないかと思ってたんじゃないですか。興味がなかったようです」
「あるとき僕がテレビの番組で突然、海外に連れて行かれました。長期間帰れないので相方の入江君とマネジャーが実家に説明に行ってくれました。母は涙交じりに聞いていたそうですが、お父さんは思い出したように何かを書き始めたらしい。『息子への手紙だな』と相方が神妙な顔をしていたら、『じゃーん、入江君の似顔絵でーす』。やっぱり普通じゃないですよね」
「最近、舞台を見に来たんですが、差し入れは死刑囚の人が書いた句集でした。もう、意味不明です」
――でも、影響を受けた。
「お父さんは子どもの絵が一番すばらしいという考え方でした。変にテクニックを身に付けると、子どもの感性が失われると思っていました。好きな絵はマティスとかクレーとか。僕もそれを聞いて育っているから、そんな絵がいいと思うし、芸事でも変に上手なものにあんまり興味がない。それより、少しヘタウマなものに魅力を感じますね」
「僕、見た目がお父さんにそっくりなんです。でも、どこかにあんなふうになってはいけないという意識がありました。だから、大学にも入りました。結局は除籍になったのですが、今でも僕の方が社会性はあると思っています」
――漫画への反応は。
「芸には興味はなかったのに、絵には反応しました。知人の感想などをまとめたメールが父からしょっちゅう来ます。俺が育てたんだという気持ちがどこかにあるのかもしれませんね。きっと、うれしいんだと思います」
[日本経済新聞夕刊2018年2月20日付]
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