松坂大輔(37)が行くところ、常に黒山のひとだかり――。沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
ブルペンで力強い投球を続ける松坂
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
■チームに与える影響、常に気遣う
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
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