2018年10月19日(金)

茶人の理想 刻んだ重文 松殿山荘(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
2018/2/14 17:00
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京都府宇治市の丘の上に大正から昭和初期にかけて建てられたユニークな和風建築群がある。松殿(しょうでん)山荘という。広大な敷地に大小の茶室などが配置され、うち12棟が2017年、国重要文化財に指定された。

■丸と四角の造形

高谷宗範が設計した松殿山荘の本館。大玄関(右)と中玄関の曲線と直線のデザインが目を引く

高谷宗範が設計した松殿山荘の本館。大玄関(右)と中玄関の曲線と直線のデザインが目を引く

5つの棟が千鳥に連なる特異な構造の本館もその1つ。訪ねると、玄関先からして奇抜な姿で目を見張る。大玄関は円弧を描く庇(ひさし)の上に切り妻屋根が載り、脇にある中玄関は四角い庇の上に半円筒形の瓦屋根が載る。丸柱は四角い礎盤に、角柱は丸い礎盤に据わる。

中央に位置する中書院棟に通してもらった。和室にかぶさる天井はドーム状で、ここにも丸と四角のデザイン。あちこちに瓢箪(ひょうたん)や花輪違(はなわちがい)などの文様があしらわれ、造作に隙が無い。

丸と四角、丸に四角。設計した茶人、高谷(たかや)宗範(そうはん)(1851~1933)は「心は円なるを要す、行いは正なるを要す」と唱え、自らの思想をこの山荘に具現化した。文化庁の岡本公秀・文化財調査官は「隅々まで凝った造り。モダニズムにも通じる独創的な建築表現だ」と話す。

丸と四角のデザインは中書院棟の天井も彩る

丸と四角のデザインは中書院棟の天井も彩る

高度な建築技術も評価ポイントだ。明治から昭和初期の大工の技は総じて優れていたが、大阪の大工が手掛けたこの山荘も「複雑な形状を上手にこなし、経年劣化もほぼ無い」(同)。

宗範は現在の大分県出身。大蔵省(当時)や裁判所に勤めた後、弁護士となって大阪を拠点に企業の顧問を務めた。政財界で広く交流する中で茶道に親しみ、建築や造園、書道、生け花などにも精通した。関西を代表する近代数寄者の一人として活躍するうち、茶の湯の改革を志して「山荘流」を創設した。

■茶道改革の場に

上流階級が茶室(小間(こま))で楽しんでいた当時の茶の湯に対し、大衆化を念頭に普通の和室(書院)で楽しむ茶への回帰を訴えた。「招く側と訪ねる側が互いに礼儀を尽くし相手に楽しんでもらう方法の一つが茶。立派な茶室や道具は必要ない」。建物を管理する松殿山荘茶道会の代表理事で宗範のひ孫、平岡己津夫さんはこう説明する。

「曲がったことを嫌い、物事をとことん突き詰めないと納得できない完璧主義者だった」(平岡さん)という宗範が主張したのが「茶道経国(ちゃどうけいこく)」だった。茶道を国民道徳や国家運営の基幹に据えて国を発展させよう――。「茶の湯は本来趣味だ」と批判の声が出ると真っ向から論争を挑んだといい、熱血というか剛直というか人柄がうかがえる。

実践の場として私財を投じ10年余りをかけて築いたのが松殿山荘だった。命名は蔵相や首相を務めた政治家で、宗範と親交が深かった松方正義。平安末~鎌倉期の関白・藤原基房がこの丘に別荘「松殿(まつどの)」を構えたのに由来する。

当時は実業家らがアマチュア建築家として設計の腕を振るう例が多く、宗範もその一人。「関西建築界の父」と呼ばれる建築家、武田五一と交流があり、影響を受けたとの見方もある。岡本調査官は「近代は多くの茶人が活動し様々な茶の湯が営まれたが、宗範は特にユニーク。今後、再評価される人物では」と語る。

1930年に山荘の落慶記念の大茶会が催され、その3年後に宗範は没した。「道半ば」と言い残したという。平岡さんは「祖母や父が守ってきた建物。重文になり、今後も何とか残せるようになった」と語る。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 大岡敦

 《交通》JR木幡駅から徒歩約20分。
 《見学》要予約、10人以上の団体のみ受け付ける。希望日の2週間前までに「公益財団法人 松殿山荘茶道会」(電話0774・31・8043またはファクス電話0774・38・1191)へ申し込む。入荘料1000円。春と秋の特別公開期間中は1人でも見学可で、今春は5月3、4日に実施する。往復はがきで申し込む。

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