ジャズピアニスト・大江千里さん 父の無関心は照れ

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はジャズピアニストの大江千里さんだ。
――お父さんは音楽好きだったそうですね。
「父は新聞社に勤めており、帰りがいつも遅かった。一方、趣味でバイオリンやチェロを弾き、オペラも歌っていました。自分の記憶にある父は、休日に音楽を楽しむ姿がほとんどです」
「父に加えて、幼稚園の同級生がオルガンを上手に弾く姿に魅力を感じ、自分も音楽をしたいと思うようになりました。家の壁にクレヨンで鍵盤を描き、まねごとをするように。それを見た両親がピアノを買ってくれて、3歳で習い始めました」
――早くから音楽に親しんでいたのですね。
「しかし、距離を置いた時期もありました。小学生の頃、周りから『ピアノなんて女みたい』と言われたのがきっかけです。それからは音楽から離れ、友達と野球をして遊んでいました」
「けれど、考えるのは音楽のことばかり。外野で守っている時、打席に立つ友達を見ながら『こいつが歌うならこんな曲かな』と妄想にふけっていました」
――音楽に戻るきっかけは何だったのですか。
「母の言葉です。『音楽をやめてもいいけど、後悔だけはするな』と。それで目が覚めました。アイルランド出身の歌手、ギルバート・オサリバンの曲を楽譜なしで再現するなど、自分の好きなことを存分にやりました」
「中学生になると、自分で作詞や作曲をしました。部屋で曲を作っていると、急に母が入ってくることも。宝塚歌劇団が好きな母は、曲に合わせて踊っていました。楽しいセッションでした」
――デビューしたとき、両親の反応はどうでしたか。
「母はとても喜び『あんたは歌がうまくないから、人の何倍も頑張らないと』と背中を押してくれました。そんな母にプレゼントをしたくて、成人してから花を贈ろうと考えていたら『現金がいい』と言うんです。5万円を渡すと、数え終えてからそっとエプロンにしまっていました」
「父は無関心でした。それでも、曲は聴いてくれていたようです。最近、実家へ帰ると、自分のアルバムがありました。『おまえのコンサートには行かない』と言っていたのに、いまでは見にも来ます。無関心は照れ隠しだったに違いありません」
――今後の目標は。
「渡米して10年。ずっとやりたかったジャズの世界へ飛び込み、現地の音楽学校を卒業しました。卒業式には父も来てくれました。幼少期は忙しく、子どもにかまってあげられなかった罪滅ぼしでもあったはずです」
「いまはアルバムづくりに力を注ぎたい。両親から受けた愛情や、ポップスで培った経験を糧に、デビュー35周年にふさわしい一枚に仕上げます」
[日本経済新聞夕刊2018年2月13日付]
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