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逆境乗り越えたレジェンド 葛西選手、栄冠への飛躍

平昌五輪
社会
2018/2/9 18:24
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 日本選手団最年長の葛西紀明選手(45)が8度目のオリンピックに臨む。貧しかった幼い日々、家族との死別、所属先の廃部――。逆境を乗り越え続けたレジェンドは、いまだ手にしていない栄光を目指して飛躍する。

男子ノーマルヒル予選の飛躍を終え、笑顔で引き揚げる葛西紀明選手(平昌)=共同

男子ノーマルヒル予選の飛躍を終え、笑顔で引き揚げる葛西紀明選手(平昌)=共同

 北海道北部の下川町に生まれ、9歳でジャンプを始めた。姉の浜谷紀子さん(48)は「控えめで優しい子。報道陣の前で冗舌に話す姿は普段の様子からは想像もできない」と話す。

 両親に姉と妹の5人家族。父親が病気がちで生活は苦しく、母の幸子さんが昼は割り箸工場で、夜は飲食店で働いて家計を支えた。スキー道具は先輩のお下がり。

 中学時代、夏になると野球を楽しむ友人を横目に「ジャンプのためにロードワークする」と走り込んだ。担任の渡部克孝さん(70)は「野球のグラブを買うにも金がかかる。紀明なりに家計を考えたのだろう」。

姉、浜谷紀子さんは「優しくて負けず嫌い」と葛西選手を見守ってきた

姉、浜谷紀子さんは「優しくて負けず嫌い」と葛西選手を見守ってきた

 ジャンプの上達は早く、中学1年の時、全日本大会ジュニア部門で優勝。高校1年で国際試合の初優勝を飾り、19歳でアルベールビル五輪の出場権をつかんだ。

 夢に向かって駆け上がろうとしていた1993年、5歳下の妹、久美子さんが血液の難病にかかり、96年6月には看病にあたっていた母、幸子さんが自宅を放火されて大やけどを負った。

 97年に亡くなった幸子さんは自由がきかない手でノートに思いを書き残していた。「どん底からはい上がってくるのを楽しみに待っている」。涙をこらえて読んだノートは今も葛西選手の手元にある。2016年1月、久美子さんも38歳で死去。海外遠征中だった葛西選手は喪章を付けて試合に出た。

 所属先の廃部は2度経験。行き場を失いかけた葛西選手に手を差し伸べた地元の住宅メーカー、土屋ホームの当時の社長、川本謙さん(68)は「つらい過去を背負っても、まっすぐな人格者。彼は何度でも立ち上がる。人知れず想像できないような努力を重ねている」と話す。

 45歳となった今も、遠征中は朝のランニングを欠かさず、体重維持のためには断食もいとわない。14年に結婚。16年には長女に恵まれた。平昌五輪は父となって初の大舞台だ。葛西選手は98年の長野五輪の団体で日本チームが金メダルを獲得したときメンバーから外れていた。金メダルへのこだわりは誰よりも強い。

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