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走ることで「生きた時間」過ごす

編集委員 吉田誠一

旅に出ると、宿泊先は近隣にランニングコースが取れそうなところにするし、都合がつけば、その地の大会に出てみる。

休暇でロンドンを訪れる直前に近郊の大会を探してみると、距離の短いものがいくつか見つかった。その中から選んだのが2月4日の「オリンピックパーク5K&10K」という小さな大会。

2012年ロンドン五輪のメインスタジアム(現在はサッカーのウェストハムの本拠地)の隣に1周2.5キロのコースをとり、5キロで終えたい人は2周、10キロを走りたい人は4周する。

エントリーは直前まで可能だし、走る距離は当日、自分で判断できるところがいい。何カ月も前にエントリーが締め切られてしまう大会がほとんどの日本とは違う。

午前9時半のスタートに合わせてランナーがぱらぱらと集まってきて、ゼッケンとタイム計時のためにシューズにつけるタグを受け取る。

「はーい、始めますよ、ヨーイドン」のような感じで始まり、終了すれば参加者はスポーツドリンクやバナナや完走メダル(こんなものまでもらえるとは思っていなかった)を受け取り、さっさと引き揚げる。

練習会の延長のようなものだが、大会で走りたくなったら、ふらりと訪れる環境が豊富に整っているのがうらやましい。散歩にいくみたいなつもりで、気軽に大会に参加できる。この国では大会への参加が特別なことではない。

ランニングが生活の一部に

そこにランニング文化の深さを感じる。ランニングが生活の一部になっている。

大会には何の装飾もないが、運営スタッフの若者がコースに散って激しくエールを送り続けてくれるし、しっかりタイムを計測してくれるのだから、十分だろう。ほかに必要なものはない。

スタート地点に並ぶ看板のメッセージが、ランナーならうなずくものばかりだ。「脚で走るな。心で走れ」「夢ばかり追ってはいけない」。ランニングをよく理解している人が運営しているのがわかる。

参加者は合わせて750人ほど。10キロを32分でゴールする実力者もいれば、2時間を要した人もいる。そこまで最終走者を待ってくれるところが優しい。初心者が臆せず参加できる。

10キロの参加者は男性が300人に対し、女性が250人。米国もそうだが、男女比に大きな差がない。これと比べると、日本は女性の割合がかなり低い。

さて、私の走りはどうだったのかというと、10キロをネットタイムで46分23秒。タイムはよくないが、意外にちゃんと走れたなあと受け止めている。

年末年始に腰痛のため3週間、ランニングを控え、走り始めたのは1月8日。ゆったりペースのランニングばかりで、スピード練習は日本をたつ直前に1度、500メートルのスプリントを4本こなしただけだった。

そんな状態だから、1キロ=5分ペースで楽しく走り、英国の大会を味わえばいいと思っていた。しかし、思っていたよりスピードが出て1キロ=4分30~40秒で走れた。

快調だったのは3日間、脚を休めていたからか、気温が2度と低かったからか。それとも大会の雰囲気がいいからか。とにかく気分がよかった。

2周目の後半にやや苦しく感じたのは、5キロでストップしてもいい大会だからだろう。「ここでやめてもいいんだよ」というささやきが聞こえた。

しかし、せっかく出場したのだから10キロ走ろうと決断すると、3周目に再び楽になった。自己記録から4分も遅いタイムだが、しばらくスピード練習をしていなくても、このくらいのタイムで走れることが確認できたので安心した。

緑豊かなコースだったわけでもないし、いい記録が出たわけでもないのに、不思議なほど晴れ晴れとした気分で会場をあとした。

都市型マラソンにない素朴な味わい

ランニング好きがそれぞれのペースで淡々と走っているムードが性に合っているのかもしれない。ここには産業として巨大化した都市型マラソンにない素朴な味わいがある。

いつも感じることだが、とにかくロンドンにはランナーが多い。記録的な寒さに襲われているのに、2つが隣接するケンジントンガーデンズとハイドパークではどの時間帯にも、かなりのランナーが黙々と走っている。

日本もそうだが、都会ほどランナーが多いような気がする。都会には人を走らざるを得なくする何かがあるのだろう。

それはやはりストレスゆえなのだろうか。私は日々、大きなストレスを感じているわけではないし、ストレス解消のために走っているつもりもないが、実は体はその手のものを感知し、私を走らせているのだろうか。

逆にストレスのない空間、時間を生きていれば、走ろうという衝動は起きないのだろうか。だとすると、走らずにすんでいる人のほうが精神的に健全ということになる。

米国の思想家、ヘンリー・デイビッド・ソロー(1817~62年)は「森の生活(ウォールデン)」の中で、町や村への定住が人を不幸にしているというようなことを書いている。

ソローはウォールデン湖のほとりの森に自ら小屋を建て、2年余り、自給自足の生活をした。その経験から「われわれはみな贅沢(ぜいたく)品に囲まれていながら、無数の原始的な楽しみという点からすれば貧しい暮らしをしている」という。

「知恵の女神ミネルヴァが家を建てたとき、粗捜しの神モーセスが、なんだ、移動式になっていないじゃないか、これではいやな隣人から逃げ出せないと難癖をつけたのは当を得ている」

「この難癖は、いまでもどんどんつけるとよい。われわれの家ははなはだ扱いにくい財産であり、人間はその中に住んでいるというよりも、幽閉されていると言ったほうがいいくらいだ。また、逃げ出したくなるようないやな隣人とは、われわれ自身のあさましい自我にほかならない」

狩猟のため移動を重ねていた人間が定住したことから歴史が変わり、またそれが人の体と精神に大きな影響を与えたのは容易に想像できる。

農作をするために定住したのではなく、定住せざるを得ない地球の環境変化があり、それによって狩猟の代わりに穀物をつくるようになったともいわれているが、いずれにしても定住によって人は脚力、体力を持てあまし、精神的な抑圧も受けたであろう。都会人が感じているかもしれないストレスは力を持てあましたことからくるものなのかもしれない。

こう考えると、スポーツというものが生まれたのは必然に思える。都会の人ほど走りたがるというのもよくわかる。

学生時代に延べ3カ月ほど、ここより先には人が住んでいないという集落の農家で働いたことがある。体を酷使したその経験から、もし農耕を営んでいたら人はランニングなどしないのではないかと思える。

現代人、特に都会の人には使わずにすんでしまっている機能がたくさんあり、それを稼働させたいという思いがくすぶっているのではないか。そのくすぶりを解消させたくて人は走るのかもしれない。

走っているうちに快感を覚えるランニングハイなるものは、眠っていた機能がきちんと起動したことからくるものではないかと思う。

冷たい空気の中、木々が立ち並び、緑豊かなケンジントンガーデンズを私も黙々と走る。スピードを抑え、一歩一歩を味わうように踏みしめていく。

時間がよりリアルなものに

すると「生きた時間」を感じ始める。時間がよりリアルなものになっていく。自分がいま、ここにいることをリアルに感じさせられる。

いまの世では、生きていながら、ここではない場所に没入してしまっていることが何かと多い。自ら時間を殺してしまっていることもある。現代人はたくさんの「死んだ時間」を生きているのではないか。

ケンジントンガーデンズやハイドパークでは散歩に連れ出された犬たちが喜々として駆け回っている。この犬たちも「生きた時間」を感じているのだろう。私の頭の構造は犬と同じということになる。そんなものなのかもしれない。

走ることによって、私はここにある時間と空間にがっちりとつかまれ、逃げられなくなる。リアルな現実を突きつけられる。そこには快楽も苦痛もある。その苦痛も実は快楽の一種であり、快楽に含まれるものなのではないか。

いにしえの時代にはおそらく「生きた時間」しか存在しなかったのだと思う。走ることによって、私はその時代に引き戻される。「生きた時間」を生きることによって満たされていく。

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