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医療データ、患者が知る時代へ

「Patient(=患者、忍耐強いという意味もある)」は、絶妙な言葉だ。先進国で病院へ行くとなったら、そこで何が待ち受けているかは誰でも分かる。あれこれ診察する医者に延々と続く検査、飛び交う不可解な専門用語、高騰し続ける医療費、そしてあの長い待ち時間だ。医療は複雑であり、注意深さが肝要なので、ある程度の忍耐が求められるのは仕方がない。しかし、患者たちの堪忍袋の緒はもはや切れそうだ。

ネット通販最大手の米アマゾン・ドット・コムと米投資会社バークシャー・ハザウェイ、米銀最大手JPモルガン・チェースの3社は1月30日、より良質で安価な医療を従業員に提供することを目的とした新会社を立ち上げると発表した。現行の医療制度の根本的な問題は、患者が知識と主導権を持っていないことにある。だが、患者が医療データにアクセスできるようになれば、その両方を手にすることができる。

患者は既にインターネット上では、好きな時に好きな場所で診察を受けることができる。市販の検査サービスを利用すれば、自分の血液を分析したり、ゲノム配列を解析したり、胃腸の細菌を調べたりできる。それでも今、病院から患者へ、医師からデータへと力点をさらに移す根本的な変化が求められている。

スマホスワイプで認知機能の低下予測も

実際にその転換は起きつつある。今やスマートフォン(スマホ)などの技術により、自らの健康状態を確認することが可能だ。いまだに自分の診療記録にアクセスしたり、信頼できる相手と医療情報を簡単に共有したりする手段は確保されていないが、これら不可欠な要素が加われば可能性はさらに開ける。そうなれば自分の治療における無駄を減らせる上、医療関連のアルゴリズムの学習に役立つデータをもっと提供することもできる。自分の健康管理だけでなく、すべての人の健康管理をも改善できるようになる。

データが医療革命の起爆剤になるとは思えないかもしれない。だが、様々な医療関連の情報を収集し、共有を促進すれば、複数の成果が得られそうだ。1つは、より正確な診断につながるという点だ。心臓に不安があれば、不整脈を検知してくれる医療用の腕時計型機器を購入すればいい。現在、皮膚がんから脳振盪(しんとう)、パーキンソン病に至るまで、様々な疾患を診断するためのアプリを開発しようと各社が競い合っている。

また、採血せずに汗を分析するだけで様々なバイオマーカー(体の状態を客観的に測定・評価する指標)を発見するための研究も進んでいる。なかには、スマホの画面をスワイプする速度の変化から、認知機能の低下を予測することを目指す研究もある。

膨大な医療データを簡単に入手できるようになる第2の利点は、複雑な病気の管理にも役立つことだ。例えば、糖尿病患者向けのアプリは、血糖値や食物摂取を記録することで患者に自己管理を促すので、失明や壊疽(えそ)といった糖尿病による長期的な障害を防ぐことにつながるかもしれない。スタートアップ企業の米アキリ・インタラクティブは、注意欠如・多動性障害(ADHD)に関係しているとされる脳の部分を刺激するゲームを開発し、規制当局の認可を申請する予定だという(編集注、薬を摂取するよりいいという考え方と思われる)。

さらに、患者は自分が受ける医療の効率を高めることもできる。診療記録の電子化が進んでいるとはいえ、情報がたこつぼ化していることも多いし、コンピューターで読み取れないデータもまだ多く存在する。こうした理由から処置が遅れたり、最悪の結果に至ったりするケースがある。米国では毎年25万人が医療ミスで死亡しているとされ、その原因の大部分は様々な治療や組織の間の調整ができていないことにあるという。

データ共有による落とし穴も

データが手元にあり、それを共有するための基準が確立していれば、患者には正しい診断を追求する強い動機があるので、間違いを発見できる見込みは高まる。米アップルは1月24日、患者がスマホを利用して自分の診療記録をダウンロードすることを認めるよう医療機関に要請する計画を明らかにした。

患者が主導権を握る最後のメリットは、患者が自分に関する様々なデータを記録したり、様々な組織からデータを収集、集積したりすることによるものだ。米グーグルの親会社、米アルファベットのある部門では、人工知能(AI)にがん組織や網膜の損傷を検知するような学習をさせている。ますます大量の患者のデータが、スマホやウエアラブル端末を通して集まるにつれ、AIはそのデータを使い、もっと多くのことができるようになるだろう。

AIは将来、症状の説明を聞くだけで自動的に医療診断を提供したり、うつ病の兆候を示す特徴的な行動を発見したり、心臓疾患のリスクを特定できるようになるかもしれない。そうしたデータを集積していくことで似たような病気を抱えた他の患者を見つけ、彼らが受けた様々な治療の結果を今より簡単に知ることができるようになるはずだ。

ただ、新技術が登場する際の常として当然、落とし穴もある。役に立たないアプリを販売する詐欺師も出てくるだろう。だが、規制当局は患者にとって危険なアプリの監視をしようとするだろう。従って、患者はだまされたとしても痛手を被るのは懐だけですむはずだ。

そもそも自分で主導権を握ることなどせず、すべて医療のプロに任せたいという人も多いだろう。それも結構だ。データは関心のある人だけが詳しく調べればいい。関心がないなら、信頼できる医療機関と情報が自動的に共有されるように設定すればいい。

新技術の登場による恩恵を受けるのは、富裕層に偏る場合が多い。だが、企業や政府、保険会社としては、すべての人にとってコスト効率の高い予防医療制度を構築する方が投資面からみても意味があるので、そうした不安は軽減されるだろう。例えば、アルファベットは最近、シティブロック・ヘルスという会社を立ち上げた。同社は患者のデータを徹底的に解析して、大半がメディケイド(米国の低所得者向け公的医療保険)の適用を受けている都市の住人に、より良い医療を提供することを目指している。

一方、対応しづらいリスクもある。自分の健康データが可視化されれば、元気な人は健康保険に入ろうとしないかもしれない。そうなると、持病を持つ人にとっては保険に加入するのがますます難しくなる可能性もある。こうした事態に対しては、例えば保険各社に遺伝データを無視することを義務付けることで、保険の加入率の低下を鈍化させることはできるが、完全に低下を食い止めることはできないだろう。

データの安全管理も課題だ。患者のデータがますますクラウド上で分析され、他社と共有されるようになると、ハッキングや悪用される懸念は強まる。米国で発生するデータ漏洩事件のうち、4分の1近くは医療関連だとされる。セキュリティー対策がずさんな医療機関や企業は、厳しく処罰されるべきだが、データ漏洩など起こりえないと信じるのも認識が甘すぎる。

最も信頼できるのは自分自身

では、データをより広く共有することによるメリットは、リスクを上回るだろうか。今のところ、その望みはあると示す兆しはある。今や多くの国々が診療記録を公開し始めているが、スウェーデンほどのレベルに達した国はほぼない。同国は2020年までに全国民に自分の医療データにアクセスできるようにすることを目指しており、既に国民の3分の1以上がアカウントを保持する。自分の医療データにアクセスできる患者の方が、自分の病気への理解度が深く、治療がうまくいくケースが高いことも研究によって明らかにされている。

米国とカナダで患者の医療データを試験的に共有したケースでも、患者の幸福度が高まるだけでなく、医師への問い合わせも減るので医療コストが下がることも判明している。当然だろう。自分の健康に最も関心があるのは、自分自身にほかならない。最も信頼できるのは、自分だということだ。

(c)2018 The Economist Newspaper Limited. February 3, 2018 all rights reserved.

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