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世界との差を埋めるには明確なビジョンが必要

対談 岩政大樹(サッカー元日本代表)×大倉智(いわきFC代表)

 サッカー元日本代表で関東リーグ1部の東京ユナイテッドに身を置く岩政大樹が思想を深めるため各界のリーダーと対談を重ねている。今回は元湘南ベルマーレ社長で、現在は東北リーグ2部のいわきFCの代表を務める大倉智氏に迫った。

岩政 プロ選手になったころの話を聞かせてください。

大倉 大学卒業が1992年3月で、Jリーグがスタートしたのが93年です。大学3年のころから「プロリーグができるらしい」という話が伝わっていたけれど、日本でプロサッカーが成り立つとはとても思えませんでした。そういう中で各クラブのスカウト活動は激しくなっていて、接待攻勢を受けました。大学4年時にユニバーシアード代表に選ばれてシェフィールド大会(英国)に出ましたが、そのときの話題の中心はそれぞれの進路についてでした。でも、なぜか僕はプロ選手になんてなってはいけないと思っていました。

大倉社長(右)は「このままじゃサッカー界はダメになると思ったことが、経営者になったいまの原点」と語る

岩政 どうしてですか。

大倉 プロなんて夢物語で、成功するかどうかわからない、だから企業でまじめに働かなきゃいけないと思ったんです。商社で働きたくて、ある会社にほぼ内定という状態までいきました。でもやっぱりサッカーがしたくなって、結局、日立製作所に入社してサッカー部(現柏レイソル)でプレーしました。加藤望(現柏ヘッドコーチ)のようにプロ契約の選手もいたけれど、僕は2年目まで社員選手でした。寮に住んで常磐線で東京・御茶ノ水の本社に通い、午前中は仕事、午後から練習という生活です。1年目の年収は240万円。プロではないのに勝利給が20万円出ました。どうなっているのか、仕組みが分かりませんでした。そんな時代です。

岩政 そうなんですか。

大倉 93年にJリーグがスタートすると、いきなり人気が沸騰して、初年度にJリーグ加盟がならずジャパンフットボールリーグ(JFL)にいた柏にもブラジルの大スターのカレカが加わりました。94年に日立サッカー部がプロ化して、柏レイソルとなるとき、選手はプロになるか、やめて社業に専念するかを自分で選びました。僕もそこでプロになりました。クラブはプロ化したものの、いろいろ問題がありました。選手がプロで1年契約なのに、フロントは本社から出向してきて、選手は部下だという感覚です。そういうところに疑問を感じました。他にもおかしなことがたくさんありました。このままじゃサッカー界はダメになると思ったことが、経営者になったいまの僕の原点です。

岩政 選手時代に先のことも考えていたのですか。

プロクラブには優れた経営者欠かせず

大倉 そこまで深く考えていたわけではないけれど、とにかく、このままではダメだと思っていました。柏を出て、ジュビロ磐田、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、米国のジャクソンビルでプレーして感じたことは、プロクラブには優れた経営者が必要だということです。米国に行ったのはスポーツマネジメントが進んでいると思ったからです。マイナーリーグなので月給は10万円しかもらえませんでしたが、アメリカンドリームを追いかける若者ばかりで楽しかった。

岩政 当時、スポーツマネジメントに興味を持って、米国に行ってみようなんて発想の選手はいなかったのではないですか。

大倉 米国で引退して、次はスペインにスポーツマネジメントを学びに行きました。母親が米国に送ってくれた荷物の中に「ヨハン・クライフ(元オランダ代表のスーパースター)がバルセロナにスポーツビジネスの大学を開校する」という記事が載った新聞を入れてくれたのがきっかけです。すぐに「これだ」と思って、米国からスペインに電話をしたら、「とりあえず一度、来てみなさい」というのでスペインに向かいました。いま思うと無鉄砲でした。

岩政 スペインに行ったからこそ見えたものがありますか。

大倉 「スペインで学んだことがいま役立っているか?」と聞かれると、あまりないと思います。一番大きかったのはサッカー先進国に3年間、身を置いたことです。話題はサッカーばかりですから。

岩政 僕も一度は欧州に住んでみるべきではないかと考えています。今後、サッカー人として生きていくなら、欧州に身を置いてみることも必要じゃないかと思っています。

大倉 生活して初めてわかることがありますからね。あのときは反町康治さん(現松本山雅監督)、羽中田昌さん(現ブリオベッカ浦安監督)がバルセロナにいて、夜な夜なサッカーで激論を交わしたのを思い出します。

岩政 どういう生活ですか。

大倉 大学の授業は午後なので、午前中は語学学校に通いました。週末はFCバルセロナかエスパニョールの試合に行き、3部、4部のクラブの経営をリサーチにも行きました。

大倉社長は「何のためにサッカーチームはあるんだというところから考え直した」という

岩政 帰国して、セレッソ大阪に入った経緯を教えてください。

大倉 C大阪の責任企業の一つである日本ハムの大社啓二社長(当時)が欧州チャンピオンズリーグの決勝を見にバルセロナを訪れたときにアテンドを頼まれました。C大阪がアカデミー(育成組織)の提携先を探していて、大社さんがイタリアやドイツなどに視察に来るたびに通訳兼カバン持ちみたいな感じで、一緒にあちこちのクラブを回りました。バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)のゼネラルマネジャーを長く務めたウリー・ヘーネスの自宅にも行きました。その縁でC大阪に入ったわけです。

「プロは負け方が大事なんだ」

岩政 肩書は何ですか。

大倉 最初はチーム統括ダイレクターで、その後、32歳にして強化責任者を任されました。他クラブの強化責任者との飲み会があると、僕が一番年下でした。そういう席で選手の移籍が話題になりました。「あいつ、どう?」「じゃあ、あいつと交換しよう」みたいな話になって。3年、強化責任者をやったけれど、選手、監督を呼んではクビにする「切った張った」の繰り返しでした。これではダメだなと悟ったのはC大阪を辞めるころです。そのとき思い出したのが「プロは負け方が大事なんだ」というウリー・ヘーネスの言葉です。バイエルン・ミュンヘンだって全部は勝てない。だからこそ、しっかりしたビジョン、ミッションを持ってチームづくりをするのが重要で、負けたときにもファンに納得してもらえるもの、負けてもファンを逃がさないものを見せなくてはいけないということです。湘南ベルマーレに行ったのは、それを実践したかったからです。何のためにサッカーチームはあるんだというところから考え直して、こういうサッカーをするんだというものを固めて、改革していきました。

岩政 湘南はスタイルを確立しましたが、そういうクラブはあまりありません。どうしてでしょうか。独自のスタイルを追求した方が結果にもつながるとわかっていると思うのですが。

大倉 鹿島アントラーズでは鈴木満さんがずっと強化部長を務めていて、こういうチームをつくるんだという指針を定め、それに沿って監督が働いています。しかし、多くのクラブは監督が代わると、サッカーの志向性もがらりと変わり、選手の評価基準も変わってしまいます。この繰り返しでは伝統、クラブのカルチャーが築けません。その深みが強さにつながることは鹿島を見れば明らかです。下のリーグにいくほど、昇格したい、降格したくないという思いが先行して、指針が固まっていません。これは経営者の問題だと思います。

岩政 結果が出ないときに、ぶれずにやっていくことが大事ですね。湘南スタイルを築いていく過程で、選手のフィジカル面を強化しなくては世界に太刀打ちできないという考えに至ったのですか。

大倉 サッカーを知っている人なら、世界と日本の差は何なのか分かっているはずです。「日本人はこういう部分で優れているので、そこを生かそう」という発想だけでは何も変わりません。体格が違うからテクニックで逃げて、フィジカルの強化に力を入れないのはナンセンスです。

岩政 「やってみる」というのがキーフレーズだと思います。「日本のフィジカルスタンダードを変える」という、いわきFCの取り組みに注目しています。今治FCの岡田武史さんもそうですが、みんなが自分の仮説に基づいてトライするのが大事ですよね。

大倉 いわきFCというと、フィジカルトレーニングがフォーカスされるけれど、僕らは当たり前のことをやっているだけなんです。Jリーガーになれなかった選手でもいい選手はいます。彼らでも体が変わると自信がついて、技術も上がっていくことがあります。そういう選手がどこまでいけるのか、こういうクラブが試合を興行としてどこまで成功させられるのか。いわきFCはそこに挑戦しています。親会社のドームが持っているアセットを生かしてチームを強化し、世の中に発信していきたいと思っています。

岩政 僕は大学時代まで、フィジカルトレーニングをほとんどしていませんでした。プロ入りして2、3年目に体を見詰めるようになり、本を読んだりして勉強しました。力の抜き方、入れ方がわかると、たとえばトラップミスの捉え方が変わりました。この部分の力を抜けばいいんだと考えると、技術が向上しました。大人になって体ができあがっていても、まだ開発されていない部分があり、さらに伸びる可能性があるということだと思います。

岩政は「考える部分で相手を上回り、いかに勝利につなげるかを伝えようとしている」と力を込める

大倉 このオフにアルビレックス新潟のユースから父親がナイジェリア人で身長198センチのFWを獲得しました。5年で化ける可能性があるのに、新潟はトップに上げなかったわけです。こういう選手はトップに上げるべきなのに、育てる余裕がないんでしょうね。

岩政 僕は東京ユナイテッドで、選手たちが22歳まで学んできたサッカーに加えて、考える部分で相手を上回り、いかに勝利につなげるかを伝えようとしています。アイデアやコツの部分です。考え方の部分は選手をやめて社会人になってからでも生きるでしょう。

大倉 世界はどんどん先をいっています。差を埋めるには医療、睡眠、栄養、サプリメント、メンタルなど、日本がやらなくてはならないことがたくさんあります。いわきFCは世界基準を頭に置いて、まず施設を整えることから始めました。将来はいわき市と協力してスタジアムをつくる計画です。こういう動きが全国に広がったら、日本のスポーツ界はもっと良くなるはずです。

岩政 クラブの創設時から、「昇格することがすべてではない」とうたっていましたよね。まずは基盤づくりに投資するのは、企業なら当たり前のことですよね。

大倉 スポーツビジネスで大事なのは施設・環境です。スポーツビジネスには演じる場所、人が集う場所が大事という発想が必要です。

岩政 日本にはサッカー文化が根づいていない、サッカーが生活に入り込んでいないといわれるのは、欧州のように人が集う場所がないからでもありますよね。

<対談を終えて>…チャレンジを続ける意味
 昨年、内田篤人選手(現鹿島)を取材にベルリンに行った。内田選手が所属していたウニオン・ベルリンはドイツの2部リーグに所属していて、ビッグクラブではない。しかし、熱狂的なサポーターがいて、彼らの人生にはウニオンが確実に根ざしている。
 サポーターの何人かに話を聞いてみると、面白い話を耳にした。なんと、「ウニオン・ベルリンのホームスタジアムは自分たちでつくった」というのだ。どうやら10年ほど前の改修工事の際にサポーターが無償で働いたらしい。
 まさに「おれたちのクラブ」「おれたちのホーム」というわけだ。彼らはクラブを自分たちの誇りとし、試合があれば、みんなが自然に集っていく場所としてスタジアムがある。
 それぞれのクラブには独自のカラーがつくられていく。もし方針が右に左にぶれてしまうと、そのカラーは色濃く鮮やかにはなっていかない。
 「ぶれない」と言葉で言うのは簡単だが、「ぶれない」を実現するのがクラブの「色」「スタイル」であり、クラブの歴史を同じ景色で彩るのがスタジアムなのだろうと思う。
 湘南ベルマーレで一つのスタイルを確立した大倉さんは、そこに安住することなく、いわきFCで新たな挑戦をしている。
 「やってみる」。その姿勢を示すことで、サッカー界への新たな提言を突きつけているようにも見える。
 これはピッチレベルとなんら変わりがない。サッカーにおける考え方と同じだ。「こうしたらうまくいくかもしれない」と思ったら「やってみる」。それでダメならまた考える。そうしたチャレンジを1人ではなく、それぞれが続けてこそ、チームは強くなる。日本サッカーも同じでしょう。
 対談の翌日、大倉さんにメールをしたら、すぐに返信が届いた。「お互い頑張ろうね!」
 サッカーファミリーみんなで日本サッカーを強くしていきたい。

大倉智(おおくら・さとし) 1969年、川崎市出身。東京・暁星高で全国高校選手権に出場、早稲田大で全日本大学選手権優勝。日立製作所(柏レイソル)、ジュビロ磐田、ブランメル仙台、米国のジャクソンビルでFWとしてプレーし、98年に引退。スペインのヨハン・クライフ国際大学で学ぶ。セレッソ大阪、湘南ベルマーレで強化担当を務め、2014年に湘南社長。15年12月、当時は福島県リーグ2部だったいわきFCの代表取締役に就任し、現在は総監督も兼務する。

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