サイ・ヤング賞投手も… トライアウトから再出発
スポーツライター 丹羽政善
ダルビッシュ有、J・D・マルチネスら、米大リーグの大物フリーエージェント(FA)選手らでさえ、なかなか去就の決まらないこのオフ。彼らの場合はそれでも、家のソファで待っていれば、いずれ代理人から連絡が来るはずだ。その一方で大学生らに交じってトライアウトを受けなければならないFA選手も少なくない。
1月23日、シアトル郊外にある「ドライブライン」という野球のトレーニング施設で合同トライアウトが行われた。大リーグ12球団が見守る中、ドラフトに漏れた大学生や元大リーガーら11投手が参加した。
■与えられた時間は15分
配られた1枚の紙には、選手の名前や携帯電話番号、メールアドレス、代理人がいる場合はその携帯番号が書かれ、これはと思う選手がいれば、すぐに連絡できるようになっている。リストには知らない名前ばかりが並んでいたが、一番下にそれなりに知られたベテランの名前があった。
マーク・ロウ、34歳。
元マリナーズのリリーフ投手である。デビューした2000年代半ばには、100マイルの球速を誇る速球派だった。トレードで移籍したレンジャーズでは、オープン戦の登板直前に「突然投げ方がわからなくなった」という珍しい経歴を持つ。15年、古巣マリナーズに復帰し、34試合に登板して防御率1.00という成績を残すと、その年のオフにはタイガースと2年総額1100万ドルで契約。30歳を超えて、彼は最大の契約を勝ち取った。
ところが、タイガースは1年でクビに。昨年はマリナーズに拾われたが、メジャー昇格はかなわず。7月、遠征の際にアリゾナ州フェニックスからニューメキシコ州アルバカーキまで、7時間をかけてウーバー(ライドシェア)で移動したというニュースが報じられて、久々に名前を耳にした。

その後の消息は不明だったが、そんな選手の場合、もはや待っていても電話はかかってこない。むしろ、積極的にトライアウトに参加し、アピールするしかないのだ。
今回のトライアウトは、室内に作られた仮設マウンドから捕手へ投げる形式で行われた。打者は立たず、1人に与えられた時間は15分程度。マウンドはマットで覆われているため、選手は皆、スパイクではなく、スニーカーで投げていた。
選手によっては「最後のチャンス」という人もいたようで、張り詰めたものが感じられた。ただ、90マイル(約144キロ)を超えるような球を投げる選手はわずか。ストライクがなかなか入らない選手もおり、全体的にレベルが低調なのはスカウトらの表情を見ていれば明らかだった。
■ドジャースとマイナー契約
そんな流れの中で、最後にロウがマウンドに上がると空気が一変した。スカウトらの表情も真剣になり、同施設でトレーニングをしているアマチュア選手らも集まってきて、視線が一点に注がれた。
初球、いきなり92マイル(約147キロ)をマーク。マットを敷いたマウンドは踏ん張りがきかないため、通常、球速が1~2マイルは落ちるとのこと。1月に終わりにしてはまずまずの出来で、34歳のベテランはきっちりと仕上げてきた。
その後もロウは、テンポよく投げ込み、キャッチャーミットに収まる乾いた音が響き続けた。ミットは動かず、スライダーがワンバウンドすることはあったものの、それまでの10人と比べればその差は歴然。別格だった。
終了後、「どうだった?」と声を掛けると、「この時期にしては悪くないかな」と言いながら満足そうに額の汗を拭い、こう続けた。
「まだまだ、頑張らないと」
ロウはその1週間後、ドジャースとマイナー契約を交わし、メジャーキャンプへの招待も決まった。最初のハードルをクリアしたといえる。
ところで、そのドライブラインではもう1人、元大リーガーと顔を合わせた。
前日、取材で訪れた際にドライブラインの中を案内してもらっていると、リサーチラボという動作解析などを行っている施設に、あのティム・リンスカムがいた。
■再起期すリンスカム
奪三振のタイトルを取り、08年から2年連続でナ・リーグのサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)に輝いた彼も、16年8月を最後にマウンドから離れている。昨年は、15年に手術をしたでんぶの故障が再発し、リハビリに専念せざるを得なくなり、こんなところで静かに復活を期していたのだ。

はじめは、かつてトレードマークだった長髪ではなく、米プロバスケットボール、NBAシアトル・スーパーソニックス(現サンダー)のショーツを履き、ボロボロに引き裂いたようなサンフランシスコ・ジャイアンツのTシャツを着ている選手が、あのリンスカムだとは思いもよらなかった。
実は、昨年12月に一度、リンスカムがドライブラインでトレーニングしていることが、米メディアに報じられている。
昨年夏の後半から練習していることは秘密だったらしいが、12月に、それを知らないロッキーズのアダム・オタビーノが、やはりドライブラインで練習しているときにリンスカムの写真を撮って、ツイッターにアップしてしまった。その後、問い合わせが殺到したのか、ドライブラインの創始者カイル・ボディ氏は、リンスカムがドライブラインで練習していることを認めたうえで、「近いうちに(スカウトへのお披露目である)ショーケースを行う」とだけツイートし、それ以上の情報を遮断した。練習に集中させたい、という配慮がうかがえた。
そんな経緯を今回出会った瞬間は知らなかったので、設備などを案内してもらいながら、彼の近くまで来たときに、いきなり「よう、久しぶり!」と声をかけられ、とっさに声が出なかった。
「世界は狭いなぁ」
笑いながらそう話した彼の実家は、ドライブラインから車で15分ほどのところにあり、シアトルのダウンタウンにも家を持っている。そう考えれば、そこで練習をしていたとしても何の不思議はないのだが、まさか、まさか、である。
■伝わってくる33歳の気迫
最後にインタビューをしたのは4年ほど前だった。4歳のときに、おばあちゃんの家の2階から転落し、骨盤を骨折し、さらに顎が外れた、という話は強烈だった。そんな話を思い出していると、脈略もなく、「イチローはどうしてる?」とリンスカムが聞いてくる。
まだ、決まっていない。でも、こっちでやるつもりのようだ――と答えると、「すげえな。さすが、イチローだな」と感心したように言う。
「君の状態は?」と尋ねると、「悪くない」とリンスカム。マリナーズが先発を必要としているよと話を振ると、あっさり答えた。
「知ってるよ。狙ってるもん(笑)」
おそらくキャンプが始まる前、リンスカムは自分に興味を持ってくれているチームのスカウトを集めて、ショーケースを行うのだろう。
彼もまだ33歳。鍛え上げられた体を見ると、本当にまだまだ、という思いが伝わってくる。
大リーグでは、その"まだまだ"を証明するため、一時代を築いた選手でさえ、トライアウトに臨むのである。
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