2018年6月19日(火)

19世紀の英国 薫る学びや 平安女学院明治館(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
2018/1/31 17:00
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 平安女学院大学(京都市)は烏丸通を挟んで京都御苑の西側に位置する。同学院の高校、中学校の校舎に囲まれた校庭に立つ、煉瓦(れんが)造り2階建てのモダンな洋館が「明治館」だ。

■女子教育見守る

19世紀の英国で大流行し、校舎建築に好んで使われたアン王女様式を取り入れた

19世紀の英国で大流行し、校舎建築に好んで使われたアン王女様式を取り入れた

 キリスト教の一派、米国聖公会から派遣された教育者兼宣教師のミス・エディが、大阪の川口居留地で3人の少女に英語などを教える女学校から始まった。1895年には京都に移転。待望の校舎として建設された明治館は以来、120年超にわたって日本の女子教育を見守ってきた。

 19世紀の英国で大流行し、学校の校舎建築に好んで使われた「アン王女様式」が日本で用いられた最初期の例とされる。「京都の洋館」の著書がある京都市文化財保護課の石川祐一氏は「重要文化財クラスの貴重な建築」と指摘する。

 設計は英国人ハンセル。英国王立建築家協会の正会員で、明治期に来日した外国人建築家の中でも特筆すべき存在だ。

 屋根は「ダッチゲーブル」と呼ぶオランダ風の曲線を持った破風(はふ)で飾られている。煉瓦造りの外壁には、1階と2階の境などに砂岩で白い帯を入れ、赤と白のコントラストを強調した。日本の建築家で同様のデザインといえば東京駅などの設計で知られる辰野金吾が思い浮かぶ。

 辰野は英国への留学経験があり、「現地でアン王女様式の建物を目にしていたはず」(石川氏)。明治館は海外の最新トレンドを、本場のプロの建築家がいち早く日本に持ち込んだ事例といえそうだ。

■現代の技で復元

平安女学院は1920年に日本で初めて制服を洋装化し、セーラー服を採用した=同学院提供

平安女学院は1920年に日本で初めて制服を洋装化し、セーラー服を採用した=同学院提供

 しかし、歳月に加え、1995年には阪神大震災が発生し、建物は立ち入り禁止になっていた。取り壊しも検討されたが、2003年に保存委員会が発足。卒業生らの寄付や募金活動も後押しし、05年度から保存改修事業が本格的にスタートした。約3億5千万円の工費と3年間の工期を経て、美しい姿を復活させた。

 もともと形状が日本の風土に合わない側面もあったためか、明治館は当初から幾度も改修が繰り返されてきた。保存改修事業を手掛けるNPO法人「文化財修復構造技術支援機構(ASSEC)」は、現代の技術で建築当初の状態に復元することを目指した。

 例えば、破風のてっぺんは平らだったが、復元のために集められた古写真から当初は山型だったことが確認できた。正面玄関ポーチは劣化で表札石も失われ、両サイドの凝ったデザインもモルタルで埋められていた。卒業写真などを確認するとともに、モルタルをはがした後に出てくる痕跡などから当時のデザインをよみがえらせた。

 ASSEC理事長を務める西沢英和・関西大教授は「レストア(修復)はオリジナルを元にしたものでなければ意味がない」と話す。当時の煉瓦の風合いを残すため、「内部に使われていたものを外壁に持ってくるなどの工夫もした」(平安女学院の山岡景一郎理事長)という。

 平安女学院は1920年に日本で初めて制服を洋装化してセーラー服を採用したことなどでも知られ、明治期から京都の中心で近代的な女子教育に取り組んできた。そのシンボルである明治館は現在、大学の国際観光学部のゼミなどで使われている。歴史の重みを肌身で感じることは、将来、国際観光都市の担い手になる学生らにとって貴重な体験になりそうだ。

 文 京都支局長 松田拓也

 写真 淡嶋健人

 《交通・ガイド》京都市営地下鉄丸太町駅から徒歩約3分。
 明治館は平安女学院中学校・高校の校庭内にあり非公開。烏丸通沿いには、1898年に建設され、平安女学院の礼拝堂としても利用されている聖アグネス教会がある。
 同じハンセルの設計では、同志社大今出川キャンパス内のハリス理化学館が有名だ。

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