2019年9月24日(火)

時代とともに役割変えて 代々木公園
今昔まち話

2018/1/27 14:00
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JR原宿駅の改札を抜けて繁華街を背に西へ向かうと、明治神宮と代々木公園が織りなす森が現れる。

1964年東京五輪で使用された宿舎(東京都渋谷区の代々木公園)

2万本以上の樹木が植えられた都会のオアシスを訪れる人は年間1千万人を超える。都民の憩いの場としての歴史は比較的浅く、1964年の東京五輪がその始まり。

公園の変遷を象徴する建物が原宿門近くにひっそりとたたずんでいた。「オリンピック記念の宿舎」。白壁にライトブルーの窓枠が印象的な平屋建ては、もともと米軍が将校の家族用に建設し、「ワシントンハイツ」と呼ばれた家屋の一つ。日本陸軍の練兵場だった公園の敷地には敗戦後、米軍将校用の住宅地が造成され、827戸の家屋、教会や学校、劇場も備えた小さな町になった。

59年に東京五輪開催が決まった後、政府や大会組織委員会(当時)が敷地を選手村として返還するよう米軍側と交渉し合意。大会後、公園として整備することもこのときに決まった。米軍将校の家屋は選手の宿舎にそのまま転用された。今公園に残っているのはオランダ選手団が実際に使用した建物だ。

都心の広大な一等地。五輪が終わった後、住宅地としての再開発計画や大規模な公共施設をつくる案が浮上した。大気汚染などの公害が社会問題化していた当時、都や有識者らは猛反発。「緑地侵犯」という言葉も生まれ、結局は大会前の計画通り公園として整備された。

公園行政に携わってきた東京都公園協会の菊池正芳さんは「もっと緑がほしいというのが60年代の都民の切実な願いだった」と話す。戦争、占領統治、経済成長とオリンピック……。時代の移ろいとともに変化した姿と役割。代々木公園が67年に一部開園してからおよそ50年が過ぎた。細い苗木が大木に育ち、豊かな都心の森を形作っている。

 
代々木公園のバードサンクチュアリ 当初の公園の計画にはなかったが、野鳥とのふれあいの場をつくるために設けられた。公園内に施設を設けたのは日本初という。クチナシやクコといった実のなる木を植え、湿地などの自然の環境を再現し、1971年に完成した。カルガモやツグミ、ヤマガラなどが飛来することも。野鳥愛好家がカメラを手にシャッターチャンスを待つ代々木公園の人気エリアの一つだ。
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