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ヤフーの参謀役、表舞台へ 「データ会社になる」

ヤフーが6年ぶりのトップ交代を決めた。かじ取りを託されたのは43歳の川辺健太郎副社長。6年前に親会社、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長(60)から突然社長就任を言い渡された宮坂学氏(50)が頼りにしてきた右腕だ。当時はスマホに出遅れて危機モードのまっただ中。スマホシフトにメドを付けたヤフーは新体制のもと新たな挑戦に出る。

新興勢力から突き上げ

「ヤフーはスマホの会社に加えてデータの会社になる」。川辺氏は24日の記者会見でこう語った。日本のインターネット黎明(れいめい)期である1996年に設立されたヤフーは「莫大なデータを蓄積している」のが強み。川辺氏は「データの力を解き放っていきたい」と力を込めた。ビッグデータ分析を通じて広告やネット通販の精度を高めていくという。

ヤフーの業績は堅調だが、置かれた状況は厳しい。主力の「ヤフーオークション」はメルカリなど新興勢力の突き上げを受ける。世界に目を向ければ米グーグルや米フェイスブック、中国アリババ集団などIT(情報技術)の巨人たちの背中は遠のく一方だ。

実はヤフーも海外展開のチャンスは虎視眈々(たんたん)とうかがっていた。本家の米ヤフーが経営難に陥った2017年、アジアのヤフー事業買収に向けて動いたが交渉は決裂した。「内弁慶企業」として勝負することになったヤフーは、まずはデータの蓄積を生かして地盤を固めることになる。

「おまえがやるべきだ」

ただ、6年前は正真正銘の危機だった。

「俺、何か怒られることでもやったかな」。その日、宮坂氏は恐る恐る東京・汐留のソフトバンク本社に向かっていた。12年1月のことだ。孫氏が直々に話したいことがあると言う。坂本龍馬の等身大写真をじっと見入っていた孫氏が突然切り出したのが社長交代だった。「おまえがヤフーの社長をやるべきだと思うぞ」

当時の宮坂氏は執行役員になってまだ3年足らず。だが、予感はあった。孫氏に呼び出される3カ月前のことだ。

「ヤフーはもったいない!」。孫氏が開く社内私塾である男性が前代未聞のスピーチを始めた。この日はヤフーの経営改革がテーマだったが、これでもかと言わんばかりに当時のヤフーの経営体制を批判し続けた。男性の名は村上臣氏(40)。ヤフー幹部だったが当時の経営陣に嫌気がさして退職していた。

村上氏がこき下ろしたのが、パソコン時代の成功体験にとらわれてスマホの可能性に気づかない当時の経営陣だった。これを聞いた孫氏が経営陣刷新を決断した。

社長に指名された宮坂氏が真っ先に連絡をよこしたのが川辺氏だった。2人は社員の目に付かないように渋谷のカラオケボックスで密会。当時は子会社社長だった川辺氏に副社長兼最高執行責任者(COO)として自らを支えるよう要請した。「あいつはズケズケとしゃべるタイプだし、カラッとケンカできる相手だから」というのが川辺氏を右腕に選んだ理由だという。

転機はウィンドウズ95

その川辺氏が「密会」の直後に電話を入れたのが村上氏だった。「なあ臣、ヤフーに戻ってこいよ」。川辺氏は宮坂氏との二人三脚で本気でスマホシフトをやり抜くと説いた。長年の付き合いの川辺氏から懇願された村上氏はヤフーへの復帰を決意した。

川辺氏と村上氏は青山学院大学の先輩と後輩に当たる。当時、学園祭でサンバ隊を組んでいた川辺氏がパーカッション担当として勧誘したのが村上氏だった。

2人の仲はサンバにとどまらなかった。川辺氏に人生が変わる転機が訪れたのは95年11月23日だった。米マイクロソフトの「ウィンドウズ95」が発売されたその日、川辺氏はウィンドウズを求めて人がごった返す真夜中の秋葉原にいた。「これからすごい時代が始まる。俺もインターネットで何かやりたい」。インターネットの未来を強烈に予感したという川辺氏は、任意団体として学生ベンチャーの電脳隊を発足。声をかけたのがハッカーの顔も併せ持つ村上氏だった。

 2人は原宿駅前の行きつけのラーメン屋でたまたま知り合った米国人男性の人脈を頼りに起業の聖地・米シリコンバレーを訪問。そこでいよいよネットの世界で生きていく決意を固めた。

川辺氏は交渉の実務役

電脳隊は00年にヤフーに吸収され、2人はヤフーに移る。そこで知り合ったのが若手のモーレツ社員としてならしていた宮坂氏だった。学生時代に新聞記者を目指していた宮坂氏。第一希望だった日本経済新聞に落ちて毎日新聞への採用が決まったが、内定式を終えた後にメディアをつくる側に回りたいと考えを改めた。

京都の中小出版社に入社し、風呂もないアパートで暮らしていた。そこでヤフーという新しいネット会社ができたことを知り応募した。「ボーナスをもらえたのが衝撃体験だった」と話す宮坂氏は、生まれたばかりのヤフーでメディア事業を立ち上げる中心人物となっていく。ヤフーの第1号社員で宮坂氏の上司だった有馬誠氏(現楽天副社長)は「ミヤはとにかく働き惜しみをしないやつだった。面倒くさい仕事を自ら引き受けて仲間を作っていくタイプだった」と振り返る。

宮坂氏は会社を離れれば、愛用する「ゲンテンスティック」のスノーボードをかついで雪山を登るアウトドア派。釣りやハンティングが趣味の川辺氏や、休日を森林間伐のボランティアで過ごす村上氏とは趣味でもウマが合った。

「爆速経営」を掲げて走り始めたヤフー3人衆。社長の宮坂氏が周囲が認める兄貴分なら、最年少で「テックオタク」と呼ばれる村上氏はチーフ・モバイル・オフィサーを名乗り、スマホシフトの技術陣を束ねる。川辺氏は参謀的な役割を果たした。

新生ヤフーは最初の3カ月間でアスクルを皮切りにTSUTAYAのカルチュア・コンビニエンス・クラブ、グリーLINEカカクコムと、次々と提携をまとめる。交渉の実務役を担ったのが川辺氏だった。

それから5年がたった昨年4月。宮坂氏は2017年3月期決算発表の席上でスマホシフトの完了を宣言した。役割を全うした村上氏は、ヤフーでは果たせなかったグローバル展開の夢を追いかけてリンクトイン日本代表に転じた。

老舗ながら新参者

「社長をつくることが社長の仕事」と常々語る宮坂氏も悩み始める。「新しい挑戦は新しいリーダーに任せるべきではないか」。「データ会社への改革」という次のテーマを任せる意中の人物は固まっていた。参謀役の川辺氏だ。ただ「葛藤がゼロだったわけでもない」と、つい本音も漏らす。自ら挑みたいという欲がないわけではないというのだ。だが、最後は「ベテランが成功体験にしがみつくと妙なことになる」と考え、相棒へのバトンタッチを決めた。

新社長に就く川辺氏。17年12月にある講演で興味深いことを語っている。「ベンチャーがヤフーのような大企業に勝つためにはどうすればいいか」。日本のネット企業の「老舗」ながらスマホという戦場では新参者という顔も併せ持った体験を語った。データ資本主義ともいわれる現在のIT産業を、新生ヤフーはどう勝ち抜くのか。3人衆の中で参謀に徹していた川辺氏がいよいよ表舞台に立つ。

(杉本貴司)

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