製革で財 志伝える洋館 松山大学温山記念会館(もっと関西)
時の回廊

2018/1/24 17:00
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スペイン瓦を葺(ふ)いた塔のある屋根、クリーム色の漆喰(しっくい)壁を引き締める重厚な窓や扉――。広大な緑の庭園に映えるその洋館は、産業資材大手のニッタ(大阪市)創業者、新田長次郎が今から90年前、孫のために建てたとされる。現在は新田家から寄贈された松山大学が長次郎の雅号をとって「温山(おんざん)記念会館」(兵庫県西宮市、国の登録有形文化財)と名付けて保存、活用する。

■贅尽くした装飾

和洋折衷、重厚な窓や扉が漆喰壁を引き締めるスペイン風の洋館

和洋折衷、重厚な窓や扉が漆喰壁を引き締めるスペイン風の洋館

車寄せのある正面玄関は、藍色や若草色が鮮やかなアラベスク模様のタイルで飾られている。玄関ホールの床は色や杢(もく)目の異なるひし形の木材を丹念に組み合わせた寄せ木で、エッシャーのだまし絵のように模様が浮かび上がる。

ドーム型の天井を見上げながら階段を上がると、右手にビリヤード台を据えた娯楽室。床が一段高いコーナーに造り付けられたソファに座り、キューさばきを見ながらくつろげる。隣の洋間はアール・デコ調のステンドグラスが見事だ。1、2階合わせて10以上ある部屋は全て床や天井、照明の意匠が異なる。

建物は鉄筋コンクリート造りでセントラルヒーティング方式を採用するなど構造や設備は当時の最先端。松山大学管理課の白石達也課長補佐は「最高の材料で贅(ぜい)を尽くした建物だ。ただ設計図などは残っておらず、装飾タイルやステンドグラスなどを含め真の価値は測りかねる」と残念がる。

完成時に比べ狭くなったものの敷地は1300坪を超え、館を囲む庭園もまた表情豊かだ。洋間に面した南側は噴水のある南欧風、和室に面する東側は大きな石灯籠のある池泉(ちせん)庭園。庭の外れには3重の鉄扉で守られた防空壕(ごう)もある。

施主の新田長次郎は「東洋の調革(しらべがわ)王」と呼ばれた実業家。幕末期に現在の松山市の農家に生まれ、20歳で大阪に出て製革技術を習得、1888年に紡績機械用のベルトの製造に成功した。外国製に勝るとも劣らないベルトは海軍工廠(しょう)の造船設備にも使われ、産業の近代化を支えた。

建築を担当したのは木子七郎。木子は東京帝国大学で建築を学び大林組にいたが、長次郎の知遇を得て長女と結婚し独立、新田家の建築顧問になった。温山記念会館は長次郎が大正期に造った別荘「琴ノ浦温山荘園」(和歌山県、国指定名勝、重要文化財)の主屋などと共に代表作品だ。

■ゼミ合宿に利用

玄関ホールの床はだまし絵のように浮き上がって見える

玄関ホールの床はだまし絵のように浮き上がって見える

長次郎は男5人女3人の子に恵まれた。その中でなぜ長男の子にあたる孫に豪奢(ごうしゃ)な邸宅を与えたのか。川東●弘(やすひろ)・松山大名誉教授は「長次郎は福沢諭吉の『学問のすすめ』に感銘を受けており、教育や平等の意識は高かった」と指摘。「兄弟の和を重んじてそれぞれに邸宅を与えたが、長男が比較的早く亡くなっていることから、その子の邸宅とされたのではないか」と推察する。

長次郎は愛情や富を身内にだけ注いだわけではなかった。大阪では貧困子弟の教育のため尋常小学校を開校し、生徒の衣服や学用品まで支給した。故郷松山でも私財を投じ、松山高等商業学校(現松山大)の創立者のひとりとなった。

松山大ではこれまでに1億円近くを投じて建物を修復、現在はゼミ合宿などに使う。長次郎の次男の孫にあたる新田元庸・ニッタ社長は「建物を通じて学生が長次郎の精神や理念にも触れ、学生が志を高めてくれればうれしい」と話す。

文 大阪地方部 入江学

写真 大岡敦

《交通・ガイド》JR甲子園口駅から徒歩約5分。松山大は学内利用を優先するが一般見学も可能。学生課(電話089・926・7149)への事前申し込みが必要。

新田長次郎の業績などは大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区)や、ニッタの研修所内にある資料展示室(奈良市、要予約)でも知ることができる。

●は立偏に争の旧字体

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