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「雨の日」に力くれた原風景 今も心の支え

朝、5歳の娘を幼稚園に送る際に心がけていることがある。

小高い丘の途中で振り返り、奥多摩や丹沢といった山々の後ろにそびえる富士山を一緒に眺めるのだ。もちろん天気によっては影も形も見えない日もある。そんな日でも「きっとあの先に富士山があるね」と語りかける。こうするのにはある思いがある。

祖父と見た赤城山の雄姿

富士山が娘の心にいつまでも残るように

私は群馬県の赤城山麓の畑作農家の長男として生まれ育った。両親は一年を通じて日の出から日没まで身を粉にして働き、幼少時代の私は畑にぽつんと残され土いじりをしながら時を過ごしていた。そのためなのか保育園の頃から周囲になかなか溶け込めない気弱で内気な子供だった。

畑にいる私を祖父は時々、肩車してくれ、裾野を雄大に広げて青く高くそびえる赤城山を見ながら「今日も赤城山がきれいだなあ」と声をかけてくれた。曇りや雨の日などは赤城山を目にすることはできないが、天気が回復すれば、すっきりと晴れ渡った赤城山を望むことができる。その雄姿はひときわ周囲から浮き立って見え、稜線(りょうせん)の先の真っ青な空はどこまでも続いていた。

10代、20代は身を削るような努力をしても自分が望むような結果はなかなか出せなかった。走れば走るほどケガに苦しめられ、することなすことうまくいかず挫折感に打ちのめされていた。

今はダメでもきっといつか…

しかし不思議なもので、思い通りにいかない時に限って幼少時にいつも見つめていた青く輝く赤城山の雄姿がぼんやりと頭に浮かぶのだ。そしてこの光景を思い浮かべると、「今はダメでもきっといつかはうまくいくだろう」という全く根拠のない漠然とした自信が湧き、心が落ち着いた。実際、結果としてうまくいかなくても何となく困難を乗り越えることができた。

そして30歳を前に運命ともいえるトレイルランニングとの出合いがあった。40歳にして公務員からプロランナーへ転職し、世界最高レベルのレースで3位になった。今思えば祖父との何気ない会話は「いずれはあの青く輝く稜線の先の広い世界で活躍できる人間になれ」「赤城山は曇りで見えない時もあるが、待ち望めば、きっといつかは美しいその姿を見ることができる。それと同様に今はダメでもきっといつかおまえはうまくいく」と言ってくれていたのかもしれない。

幼少期に習慣的に見続けた風景にはその後の人生を左右する何か大きな力があるように感じられてならない。半世紀近く前に祖父が見せ、意識させてくれたあの景色は今でも心の大きな支えとなり、私を鼓舞し続けてくれる。そのような私だから、今はまだ幼い娘が将来、何かに迷ったり、つまずいたりした時に心のよりどころとなる景色を思い出せるよう日々、声をかけているのである。

(プロトレイルランナー 鏑木毅)

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