スピードスケート郷 遅咲き30歳、夢の大舞台
平昌へ メダルへの道
「時間はかかりましたが、やっと五輪の舞台に立つことができる」。昨年末、平昌五輪のスピードスケート代表が正式に発表されると、郷亜里砂(イヨテツク)は喜びをかみ締めた。30歳にしてつかんだ初の五輪切符。その言葉に苦難を乗り越えた遅咲きのスケート人生がにじんでいた。

飛び抜けた実績がないマイナースポーツの選手は、スポンサー探しが難航し、学校を卒業してから競技を続けることが難しい。郷もそんな一人だった。北海道東端部の別海町出身。幾多の五輪選手が輩出した北海道・白樺学園高を経て、山梨学院大へ進んだ。2009年の全日本学生選手権などを制したが、企業チームから声はかからなかった。

大学の指導者の尽力で何とか国体の強化選手として受け入れ先が見つかり、山口県へ移った。だが、社会人になっても全日本レベルで活躍できず、その後も北海道、愛媛と所属先を転々とした。成績はワールドカップ(W杯)の代表に届きそうで届かない。「もうちょっとなのになと、ずっと悔しい思いをしてきた。このまま続けていても成績が出るかどうかも分からない。もうやめた方がいいのかな……」と引退を考えたこともあった。
周囲から「もう少し続けたら(W杯に)行ける」と励まされ、歯を食いしばった。歩みは遅かったが、あきらめない姿勢が実を結んだのはソチ五輪後の14年秋。26歳で初めてW杯代表に選ばれると、その後はとんとん拍子。所属の垣根を越えてトップ選手が集うナショナルチームのメンバーの一員となり、今では五輪のメダル候補の一人だ。
絶対的な強さを誇る小平奈緒(相沢病院)の陰に隠れてはいるが、今季のW杯女子500メートルは3位が4度と表彰台の常連。2位となった年末の五輪代表選考会でも低地リンクでの自己ベストを更新と、30歳の成長は止まらない。短距離のロビン・デルクス・コーチは「常に練習では、いつ何をどこでどうやれば強くなるかを伝えてきた。郷選手は一つ一つ素直に聞いて、やり続けてきたことが今につながっている。この2年でフィジカル、メンタルが強くなった」と努力をたたえる。
今季はレースのたびに自信を深める郷は「目標にしていた五輪でのメダルがぐっと近づいてきた。すごく五輪が楽しみ」と初の大舞台へ胸を躍らせる。自身の強みは「最後のコーナーと最後の直線。スピードが上がったところでの勝負強さ」と話す。自らのスケート人生を映し出したようなレース展開で、メダルへ突き進む。
(金子英介)