大賞に赤神諒氏「義と愛と」 史実基に豊かな人物描写
第9回日経小説大賞
第9回日経小説大賞(日本経済新聞社・日本経済新聞出版社共催)の最終選考会が開かれ、大賞は赤神諒氏の歴史小説「義と愛と」に決まった。戦国時代の大名・大友家にまつわる史実を基に、物語の構築力と人物描写の豊かさが高く評価された。
400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第9回日経小説大賞には248編の応募があった。歴史小説、時代小説、経済小説、恋愛小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたり、中でも定年後の男性が自身の半生を振り返る作品が目立った。応募者は50~60代が全体の6割を占めた。
第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。赤神諒「義と愛と」、父と子の確執に性や宗教の問題を絡めた佐伯琴子「八月は瑠璃色の鳥が潜んでいる」、死刑囚収容施設で働く青年が権力にあらがう田中波香「サイレントレター」、恋人を自殺で失い歌えなくなった歌手が再生する仲野芳恵「君は星の歌」、息子の詩人・光太郎と対立しながらも仏像制作に打ち込む彫刻家・高村光雲の横顔に迫る葭森大祐「高野秘仏」だ。
最終選考は1日、東京都内で辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果、「義と愛と」への授賞で一致した。
受賞作は、お家騒動が持ち上がった豊後大友家の重臣、吉弘鑑理(あきただ)とその弟鑑広(あきひろ)が、いかにこの政変を生きたかを描く。「地方の史実の中の一つの出来事に絞り込んで物語を構築したことで、登場人物たちの内的な葛藤を浮き彫りにした」「史実にべったりではない、人間ドラマが描けていた。正当な歴史小説」といった評価が聞かれた。
〈あらすじ〉
天文19年(1550年)、九州・豊後(現・大分県)の戦国大名、大友氏に起こった政変「二階崩れの変」を、時の当主・大友義鑑(よしあき)の重臣、吉弘兄弟を通して描いた本格歴史小説。大友家20代当主・義鑑が愛妾(あいしょう)の子への世継ぎのため、21歳の長子・義鎮(よししげ、後の大友宗麟)を廃嫡せんとしたため、重臣たちが義鑑派と義鎮派に分裂、熾烈(しれつ)なお家騒動へと発展する。家中での勢力争いに明け暮れる重臣の中で、一途に大友家への「義」を貫いた吉弘鑑理(あきただ)と、その弟で、数奇な運命で出会った姫への「愛」に生きた鑑広(あきひろ)を主人公に、激しく移りゆく戦国の世の、生身の人間ドラマが繰り広げられる。
■「義と愛と」受賞に寄せて――赤神諒氏
私は「うどん」のような小説を書きたい。
飽きの来ない不朽の和食で、由緒正しき正統派。温冷いずれも可で、多様なトッピング、趣向により七変化する。カレーに浮かべても、炒(いた)め転がしてソースにからめてもいい。洋風、イタメシ、無国籍何でもござれ。驚くほど多様な顔を持ちながら、しかしなおしたたかに「うどん」ではあり続けて、食する者の期待を良い意味で裏切らない。

忘れたころに読み返したくなる、いろんなテイストを味わえるのに、どこか懐かしい和風の安心感がある――そんな作品で、斜陽のこの国を明るくしたい。栄えある賞を賜った以上は厳しい出版業界を生き残り、日常に疲れた読者の心を洗い、人生も人間もあながち捨てたもんじゃないと、明日を生きる元気が出るような作品、消耗品ではない残る小説を書き、世に出すための努力と工夫を重ねたいと存じます。
楽しみながらの苦節八年、現代物、外国物やファンタジー、ライトノベルまで長編を二〇作余り書いてきました。三年ほど前に自信作が落選したとき、楽天的愛酒家の私もさすがに仕切り直しの必要を痛感し、「受賞まで自宅禁酒」を誓いました。かくて執筆は完全に生活の一部となりました。まだまだ扱いたいモチーフ、テーマがあり、人生を折り返してからのデビューであと何本書けるかと思うと時々怖くなります。
今回の受賞は不出来の私をお世話くださった多くの方々のおかげです。末筆ながらこの場をお借りして、選考委員の先生方を始め、ご縁のありました皆様に心より感謝申し上げます。
<選評>
■辻原登氏、喜怒哀楽 間断なく活写

「義と愛と」は文句なしに推せる作品として選考に臨んだが、結果はその通りになった。
私は「二階崩れの変」について知るところは全くなかったが、読み進むうちに戦国を彩った武将たちの喜怒哀楽、知謀、術数が、勘所をおさえたストーリー展開によって、間断するところなく活写されている。こういう歴史ものを読ませてもらえれば、それでもう満足なのであって、文句の付けようがない。主人公にも脇役にも、そして最も肝心な敵役にも欠かせぬ魅力が横溢(おういつ)している。
「サイレントレター」に注目した。この若い書き手にはどうやら天性の小説を構築する力がありそうだ。二〇一四年の受賞作『女たちの審判』は同じ死刑囚拘置所を舞台にした秀逸な作品だったが、それとは趣(おもむ)きはかなり違う。「ある監禁状態を別の監禁状態で表わしてもいいわけだ」と述べて、『ロビンソン・クルーソー』を書いたのはデフォーだった。同じように大岡昇平は『俘虜(ふりょ)記』を書いた。作者に、この二作に加え、カミュの『ペスト』を熟読玩味することを薦めたい。
■高樹のぶ子氏、男の視線で描く戦国は新鮮

「義と愛と」史実に基づいた歴史小説を久々に読んだ気がする。九州は大友家のお家騒動に関わった、家臣吉弘家兄弟の内面が細やかに描かれ、兄と弟の性格の対比もうまくいっている。とりわけ弟が敗将の娘楓(かえで)に一目惚(ひとめぼ)れし、生涯愛し抜いた姿は印象的だし、兄が「義」のために弟を見殺しにせざるを得なかった姿も胸に迫る。ただ私は、もっと資料を取捨選択し、物語をシンプルにした方が読みやすいと思ったが、男達の視線で描かれる戦国の世の権謀術数や合戦模様も新鮮で、本賞に相応(ふさわ)しい。
「八月は瑠璃色の鳥が潜んでいる」前作で才能を期待したのだがお話作りにエネルギーが向かい、性描写も杜撰(ずさん)だった。人間の非情さを描くには、その先に作家が考える光を置かなくてはならない。
「サイレントレター」ホラーミステリーの才能を感じるが、荒唐無稽な作り物としてはっきりさせた方が、読者は楽しめるのではないか。
■伊集院静氏、作家の視点 裾野広く関心

赤神諒氏の『義と愛と』を興味深く読んだ。戦国時代の史実として豊後に残る家督争い"大友二階崩れ"。事件は残酷な顛末(てんまつ)ばかりが印象的だが、作者はよくこの史実に対して、物語の発想を見つめる目を持ったと思う。新人が描く時代小説としては、その視点の裾野がひろく、感心した。物語の軸となる大友家家臣の吉弘鑑理と弟の吉弘鑑広の兄弟のキャラクター作りと、行動原理を見事に好対照にした点で、この小説は、奇妙な成功をしている。事件は一五五〇年前後であるから、関ヶ原で戦国時代が終焉(しゅうえん)する五十年前で、主従の捉え方も下克上ばかりが目立つのが大方なのだが、"愚直"と言えるほどの兄、鑑理の"義"に対して、弟、鑑広が戦勝、名誉より、いとしい家族の方に価値観を抱かせた"愛"が、新人らしからぬ着想だった。私はこの小説がまったく違う題材で仕上げられた作品を以前、同じ作者の作品として読んでいたから、題材に対する執拗な姿勢と創作への情熱が素晴らしい一作を完成させたのだと、喜んでいる。

日経小説大賞は日本経済新聞創刊130年を記念して2006年に創設されました。授賞式の様子や応募要項を掲載しています。