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消えた大阪の競馬場 今は世界に誇る競技場の礎

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2017/12/23 6:30
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 前回、当コラムを担当した今年7月、「消えた大阪の競馬場」というテーマで春木競馬場をご紹介しました。時代の流れに翻弄されたその運命はあまりに印象的で、真っ先に取り上げましたが、大阪にあった競馬場は春木だけではありません。今回は大阪の競馬のルーツをひもときながら、他の競馬場も見ていきたいと思います。

 地方競馬全国協会(NAR)刊行の「地方競馬史」によると、1927年(昭和2年)8月に農林・内務省令地方競馬規則が公布され、大阪では2つの畜産組合が同時に競馬開催の認可を申請しました。ところが、認可枠は一つだけ。結局、同年12月16日、このうち一つの大阪馬匹畜産組合が、馬を主とする畜産組合であったため、まず認可を受けることになりました。初めて競馬が開催されたのは翌28年(昭和3年)1月。大阪競馬場の誕生です。一方、競合で敗れた泉南郡畜産組合は後に地方競馬規則の一部改正によって、さらに1カ所の増設が可能となったため、同年8月11日に認可を受けました。こうして春木競馬場が誕生します。

大阪競馬場、戦前に産声

 さて、大阪競馬場ですが、最初の開催地の大阪市港区(後の大正区)鶴巻は地盤が軟弱で狭く、開催に適していませんでした。29年(昭和4年)には場所を移し、大阪城付近でも開催したといいます。翌30年には大阪府中河内郡八尾町で、かねて準備が進められていた競馬場が完成。同年7月から競馬が施行され、約9年にわたって開催されました。

 現在、八尾市には競馬場の痕跡は全くといっていいほど残っていませんが、当時の様子を描いた記事や地図は見ることができました。NPO法人・やお文化協会が発行する郷土誌「河内どんこう」に記載された企画記事「八尾競馬場顛末(てんまつ)記」によると、競馬場ができる際には、特に反対運動が起きることもなく、町をあげて協力したといいます。町は馬にあふれ、人々の関心は競馬に集まっていきます。「(町は)良きにつけ、悪(あ)しきにつけ、馬にかきまわされたのである」との記述が、当時の空気を感じさせます。

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