ヒルズの森 稔る新米 虎ノ門でも共に成長

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2017/12/11 6:30
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アークヒルズ、六本木ヒルズ――。手掛けたプロジェクトは常に時代を先駆けてきた。森ビル。財閥系を退け、総合デベロッパーに成長したが、ここで再び賭けに出る。4000億円を投じる東京・虎ノ門の再開発がそれで、投資会社と組んでテナントの育成に乗り出した。六本木で成功した「ヒルズ=成長企業」のブランドづくり。虎ノ門でも再現できるか。

2022年度までかけて虎ノ門を再開発する(イメージ)

2022年度までかけて虎ノ門を再開発する(イメージ)

11月、スタートアップ企業の育成プロジェクトを担当する森ビルのチームリーダー、飛松健太郎(39)は7年前のあの日を思い出していた。米フェイスブックの日本法人代表を務める児玉太郎と2人で東京港区の街並みを眺めたあの日だ。

2010年10月、飛松は児玉を「西新橋2森ビル」に誘った。日本法人の拠点を森ビルのオフィスビルに移転してもらうためだ。「森ビルの歴史は戦後、この4階建ての小さなビルから始まった。それがここまでになった。これからも森ビルは大きくなる。森ビルのテナントになって共に成長していってほしい」

当時の児玉のオフィスは東京・原宿の1LDKのマンションだった。「フェイスブックが日本で本格的にビジネスを立ち上げる」との情報を得た飛松が、6人の従業員と働いていた児玉を探し当てたのだ。飛松の言葉は児玉に響き、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)がいる米本社と話をまとめ、森ビルに移ってきてくれた。

今も飛松はスタートアップ発掘を担う。現在、六本木ヒルズには急成長を続ける10社以上の企業が入居し、ヒルズブランドを支える。その大半が飛松の手によるものだ。

飛松のようなチームリーダークラスがヒルズのテナント誘致を支えるのが森ビルの特徴だが、それは三菱地所三井不動産のような財閥系のデベロッパーと森ビルとの決定的な差だと言える。

三菱地所の場合、バックには三菱グループがある。土佐藩が開設した九十九商会を起点に結びつく三菱グループの売上高は、総額で60兆円近く。三菱地所の「庭」である東京・丸の内だけでも約10兆円だ。

三菱グループの中核企業の集まり三菱金曜会の昼食懇談会は「カレーライスを食べながら、雑談をする程度」(三菱地所の福沢武名誉顧問=85)。しかし、その何気ない普段の付き合いが、本社の移転や増設といったときに威力を発揮し、テナントを引き寄せる。

だが、森ビルにはそれがない。若い担当者が自らの力で有力テナントを探りあてなければならない。もちろん、徒手空拳では勝ち目はない。どうするか。飛松は独立系のベンチャーキャピタル(VC)を頼った。死に物狂いで投資先を探すVCの「目」を借りたのだ。

ニュースアプリのGunosyにしてもフリーマーケットアプリのメルカリ(東京・港)にしても、起点はすべては小さなVCだった。「あの会社はいい」。紹介された会社の社長に片っ端から会いに行き、酒を飲む。

徹底的にビジネスモデルは確認するし、収支計画もきちんと聞く。しかし最後は人だ。相手のビジネスにかける情熱だ。「よし、この人なら成功する。賃料をきちんと払ってくれる」と思う会社を引き込んでいった。それがほとんど的中したのだった。

これまで飛松がテナントに呼び込んだ企業は09年から現在までで30社。赤字ばかりだったが、9割以上が数年で黒字に転換した。「ヒルズ=成長企業」のブランドが成立、そのブランドに次の成長企業が吸い寄せられる好循環が生まれた。

飛松が7年前にフェイスブック日本法人の児玉を口説き落とせたのは、森ビル創業の場所での手の込んだ演出が功を奏したからだ。それは単に物珍しかったからではない。西新橋2森ビルこそ、戦後の日本を代表する情報流通企業、リクルート(現リクルートホールディングス)の出発点であったからでもある。

児玉は自分がこれから日本で事業を立ち上げるフェイスブックを、リクルートに重ね合わせたのだ。

今から60年前。森ビルの中興の祖、森稔(故人)とリクルートの創設者、江副浩正(故人)の人生は西新橋2森ビルで交わっていた。

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