2017年12月12日(火)

樺太犬タロ・ジロの像、なぜ大阪に?(もっと関西)
とことんサーチ

コラム(地域)
関西
2017/12/7 17:11
保存
共有
印刷
その他

 来年は戌(いぬ)年。誰もが知る忠犬を年賀状の図柄にしようと思い立った。東京だと渋谷の「ハチ公」や、上野の西郷どんの横にいる「ツン」が浮かぶ。大阪にも忠犬がいないか探してみると、堺市に南極越冬隊で有名になったタロ、ジロら樺太犬の像があるらしい。大阪とのゆかりは考えにくいが、なぜだろう。

タロ、ジロら遠ぼえする樺太犬慰霊像(堺市堺区の大浜公園)

タロ、ジロら遠ぼえする樺太犬慰霊像(堺市堺区の大浜公園)

 像がある堺市堺区の大浜公園に足を運んだ。15頭が不安げに遠ぼえしている。「全国の犬像をめぐる 忠犬物語45話」を書いた写真家の青柳健二さんは「犬像の中でも、これだけ人々の胸にぐっと迫ってくるものは他にないのでは」と説く。

 犬たちは1958年2月、第1次越冬隊により昭和基地に残された。2次隊が到着する予定だったが、荒天で救出を断念。越冬隊は日本中から批判されたが、翌59年1月に到着した3次隊がタロとジロの生存を確認。「奇跡の生還」とたたえられ、日本中に感動を巻き起こした。

岩田千虎=堺・アートクルーズ提供

岩田千虎=堺・アートクルーズ提供

 公園の像の説明板には、堺市の獣医で彫刻家の岩田千虎(かずとら、1893~1966年)が58年7月に作製したとある。まだタロとジロの生存は確認されていない時期だ。樺太犬像は国立極地研究所(東京都立川市)にもあるが、こちらは59年9月に完成した。2頭の生存確認前後のためか、両者の像から「受ける印象は対照的」(青柳さん)。

 南極はもちろん、タロたちの故郷、北海道稚内市からもはるか遠い堺の獣医が、かなり早い時期に作製していたとは。一体どんな人物だったのだろう。

 セメント像に詳しい国立新美術館(東京・港)の坂口英伸アソシエイトフェローは「美術史に大きく名が残る人ではないが、個人的には好きだ」と語る。岩田は獣医としては現在の大阪府立大学の家畜病院長などを歴任。彫刻では長崎の平和祈念像を作った北村西望に師事した。坂口さんによると、作品は各地に残っているという。

 まずは天王寺動物園(大阪市天王寺区)。通路脇にひっそり立つ像は2頭のチンパンジーだ。32年にきたメスのリタと、2年後に婿入りしたロイド。特にリタは大スターだったが、2頭とも表情に影が差しているようにみえる。

 リタは芸達者で知られ、戦意高揚のため軍服を着せられたこともあったという。40年7月に死んだが、新聞によると1週間後に像が完成。像の悲しげな表情からみるに、岩田は動物を人間の手駒にするのを心苦しく思っていたのかもしれない。

 大阪府松原市の獣医、西田幸司さん(68)は「千虎さんの作品には、実験動物や戦死した軍馬など、人のために犠牲になった動物への追悼の気持ちがこもる」と話す。西田さんの父は岩田の後輩獣医で、開業時には犬のレリーフを贈られた。西田さんが持つ岩田の作品歴をみると戦前は軍馬、戦後は動物慰霊碑・像が目立つ。

 「千虎さんは晩年、地元の伝説に興味を持っていた」と話すのは大阪狭山市在住の岩田の義娘、岩田訓子さん(79)。その作品が大仙公園(堺市堺区)にある百舌鳥耳原(もずのみみはら)伝説像だ。仁徳天皇陵を造る役人の前で鹿が突然倒れ、耳からモズが飛び出したという伝承だが、像は3者とも穏やかにみえる。人間と動物の協調こそ、岩田が追求したものだったのだろう。

岩田の孫である要さん宅の犬像(奈良市)

岩田の孫である要さん宅の犬像(奈良市)

 訓子さんの紹介で岩田の孫、要道子さん(70)を奈良市に訪ねた。自宅にはタロ、ジロらの像の原型が残り、ブルドッグなど穏やかな顔の犬像もある。「『ワン』とほえそうなほどリアル。それぞれどこかにモデルがいたはず」と要さん。

 岩田は慰霊のつもりでタロ、ジロたちの像を手掛けた後、奇跡の生還が伝わってホッとしていたはず。彼が手掛けた動物像からは時代の空気感と平和への思いが伝わってくる。来年も穏やかな年を迎えたい。

(大阪・文化担当 西原幹喜)

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

関連キーワードで検索

岩田千虎大阪府立大学



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報