2017年12月15日(金)

信仰の山に弁慶の伝説 書写山円教寺(もっと関西)
時の回廊

コラム(地域)
関西
2017/12/6 17:00
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 天台宗の別格本山で「西の比叡山」とも呼ばれる円教寺(えんぎょうじ、兵庫県姫路市)は、書写山(371メートル)の山上にある。紅葉の名所でもあり、秋には多くの観光客でにぎわう。歴史ある寺には様々な伝説が残るが、源義経の従者、武蔵坊弁慶が少年時代に修行したというのもその1つだ。

■室町期の大講堂

常行堂から見た大講堂

常行堂から見た大講堂

 ロープウエーを降り山道を登ること15分あまり、紅葉に彩られた摩尼(まに)殿が現れる。舞台造りの建物はこの地にあった桜の生木に観音像を刻んで本尊としたため、と伝わる。本尊は室町時代の火災で焼失。建物も度々の火災で焼失し、現在のものは1933年に再建された。

 本堂にあたるのは、さらに5分ほど歩いた山上の大講堂だ。室町中期の建築で、食堂(じきどう)、常行堂と「コの字形」に並ぶ様子から「三之堂(みつのどう)」と呼ばれている。歴史を経た木造建築独特の重厚感の中に、どこか柔らかい印象がある。総務部長の金子峻祐さんは「柱の面とりを広くしているから」と説明する。

 円教寺は966年、平安時代の僧、性空(しょうくう)によって創建された。書写山は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が山頂に降り立って1泊したという伝説があり、古くから信仰の対象とされていた。山の名も「素戔(すさ)ノ杣(そま)」に由来するという。皇族や貴族の信仰があつく、986年に来山した花山法皇は「円教寺」の名を与えて大講堂を造立した。

弁慶の少年時代の言い伝えが残る井戸

弁慶の少年時代の言い伝えが残る井戸

 寺が最も栄えたのは鎌倉から室町時代。最盛期には2万7千石もの領地をもち、千人規模の修行僧を抱えた。境内に200ほどの小院や別院など塔頭(たっちゅう)があったといい、金子峻祐総務部長は「山の平らなところはほとんど塔頭だった。現在のように木々が茂る山の様子とはだいぶん違っていただろう」と話す。

 状況が大きく変わったのは戦国末期。豊臣秀吉による播州攻めの際、見晴らしがよく兵糧の調達にも都合がよいからと、円教寺に本陣が置かれた。秀吉は僧侶たちを山から追い出し、のちに領地を没収。江戸時代に800石までは取り戻したものの、かつてのような繁栄はなかった。

■「鏡井戸」の逸話

 弁慶が使ったと伝わる机があるのは、1階部分が写経道場、2階が展示館となっている食堂だ。

 丸太を荒く削ったような長さ2メートルほどの机はいかにも重たそうで、弁慶ほどの怪力でないと持ち運べないだろう。弁慶の伝説は各地にあるが、ゆかりの品は珍しい。2011年に国立文楽劇場(大阪市)で「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」を上演した際には、同劇場の展示スペースに貸し出されたそうだ。

 大講堂と食堂の間にあるのは「弁慶の鏡井戸」で、弁慶が顔を洗ったとされる。源義経の主従を描いた「義経記」によると、昼寝をしていた間に顔に落書きをされた弁慶が寺の小坊師らの笑いものにされる。「鏡井戸」に映った自分の顔を見て大激怒し、小坊師らとけんかになったことがもとで、大講堂をはじめとする山内の建物が焼き尽くされたという。

 暴れ者の弁慶らしい逸話だ。真偽のほどは定かではないものの、書写山周辺は雷が多く、雷で建物が焼けることが度々あったという。摩尼殿や三之堂も焼失した記録が何度かあると伝わっており、金子さんは「こうした事実と弁慶の伝説が組み合わされたのではないか」と話す。

 文 大阪・文化担当 小国由美子

 写真 山本博文

 《交通》JR姫路駅、山陽電鉄山陽姫路駅から神姫バスで「書写山ロープウェイ」下車、書写山ロープウェイに乗り「山上駅」から徒歩約15分。
 《ロケ地》米俳優のトム・クルーズさんが主演し、渡辺謙さんや真田広之さんらが出演したハリウッド映画「ラスト・サムライ」やNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地としても使われた。

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