関西の元気、創作で伝える 漫画家 森田まさのりさん(もっと関西)
私のかんさい

2017/12/5 17:00
保存
共有
印刷
その他

■幅広い世代に人気の漫画家、森田まさのりさん(50)が4月、初めて絵本の制作を手がけた。「とびだせビャクドー! ジッセンジャー」。仏教をテーマにしたヒーローショーが原案で、描いてみて新たな発見もあった。

 もりた・まさのり 1966年、滋賀県栗東市生まれ。実家は浄土真宗本願寺派の寺院。守山高校在学中に手塚賞佳作に入選し、漫画家としてデビュー。以来「ろくでなしBLUES」「ROOKIES」「べしゃり暮らし」などのヒット作を世に出している。

もりた・まさのり 1966年、滋賀県栗東市生まれ。実家は浄土真宗本願寺派の寺院。守山高校在学中に手塚賞佳作に入選し、漫画家としてデビュー。以来「ろくでなしBLUES」「ROOKIES」「べしゃり暮らし」などのヒット作を世に出している。

昨春、本願寺出版社の担当者から突然、電話がかかってきた。龍谷大学の大学院生が子どもたちにもっと仏教に親しんでほしいとヒーローショーを演じている。それを絵本にできないかと相談を受けた。

自分は滋賀県の寺の長男に生まれた。小さい時から寺を継ぐものと思っていた。でもどうしても漫画家になりたくて高校卒業後、上京した。実家の寺や檀家の人に迷惑をかけているという申し訳なさを、仕事をしていて常に感じていた。罪滅ぼしではないが、寺の役にたてるよい機会だと受けさせてもらった。

絵本では怪人が出たり、人物がふわっと消えたり。今までの漫画とは違う表現をしてみた。自分の新しい可能性みたいなものも発見できた。今はアシスタントがいて、分業性で作品を描いている。でも今回の絵本は色付けから背景まですべて自分1人でやった。中・高校のころ、こうだったんだと、懐かしくもあった。

■小学生の時、藤子不二雄(A)氏の「まんが道」に感銘し漫画家になることを決意。高校卒業後に上京。4年後に「ろくでなしBLUES」の連載が決まる。

大学に出したつもりで4年間、やらせてくれと親を説得して上京した。とにかくがむしゃらにやった。多分、4年という区切りがなかったら漫画家にはなれなかった。1年目は原哲夫先生のアシスタントとして絵の勉強をした。

原先生は当時「北斗の拳」を描いていた。自分がいた時は一つのクライマックスの時期。熱気がすごかった。勉強になった。北斗の拳の人気キャラクターのラオウが拳を天に突き上げ死ぬページ。背景の空が割れていくシーンは自分が描いた。

「ろくでなし」「ROOKIES」と不良が主人公の作品が多いが、自分は不良でもないし、どちらかといえば不良は嫌いだ。でも高校卒業後、すぐこの世界に入った。社会を知らなかった。描けるとしたら学生時代のことだけ。だから学園ものになった。

映像化も積極的に受けている。漫画だとお年寄りの檀家の人は読まない。しかし、テレビだったら見るかもしれない。東京で頑張って描いているとわかってもらいたいためだ。

ただROOKIESをドラマ化したいと打診された時は面食らった。プロ野球「巨人」の試合をよく放映するテレビ局からだった。阪神ファンなのもあってROOKIESの登場人物には阪神の選手にちなんだ名前が多い。それを巨人の選手の名前に変更できないかと言われた。もちろん、即座に断った。

■3月、滋賀県警察本部の警察官募集案内のポスターを描いた。古里の滋賀、関西のためにという思いは強い。

警察官募集のポスターは若者が応募してほしいと作製した=滋賀県警提供

警察官募集のポスターは若者が応募してほしいと作製した=滋賀県警提供

何かしら滋賀のために貢献したかったので、県警からの依頼はうれしかった。登場人物のキャラクターはじっくり考えた。このキャラなら滋賀を舞台にした作品も描けるかもしれない。

ライフワークとして取り組むのがお笑い芸人を目指す若者を描いた「べしゃり暮らし」。小学生の頃、授業中は勉強そっちのけでどうしたらうけるかばかり考えていた。まあすべってばっかりだったが。お笑いは関西の身近な文化だと思う。大切にしてほしい。

だからお笑いをテーマにした漫画に挑戦した。家族、夢、愛、生きること。何でも描ける。2005年に連載を開始。一昨年に終了したが、続編はやる。次はプロ編だ。僕の知っているのは売れない若手芸人ばかり。面白いものを創造しようとあがき苦しんでいる。それは自分も同じ。お互い、答えはまだ見つからない。だから死ぬまで答えを探して「べしゃり暮らし」を描き続けるつもりだ。それはお笑いの、関西の元気を伝えることにもなる。

(聞き手は大津支局長 橋立敬生)

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]