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大田原マラソンで振り出しに ここからは自然体で

編集委員 吉田誠一

2004年11月の初マラソンの記録(ネットタイムで3時間52分40秒)を下回るのは、いつになるのだろう。なるべく先延ばししたい、しかし、そろそろ時間の問題かもしれないと近年、感じていた。

何しろ、2015年4月のかすみがうらマラソン、16年11月のさいたま国際マラソンでともに3時間50分という体たらくだった。

大田原マラソンは自己ワーストの3時間59分41秒に終わった

そして、ついにそのときがやってきた。11月23日、大田原マラソン(栃木)で3時間59分41秒(ネットタイム)を要し、自己ワースト(風邪をおして臨み、途中棄権した13年の別府大分毎日は除く)を記録した。

フルマラソン58戦目での惨敗

グロスタイムは4時間0分11秒だから、大会の制限時間の4時間を切っていない。42歳10カ月で初挑戦してから、ちょうど13年。フルマラソン58戦目、55歳10カ月での惨敗だった。

意外にもショックは受けなかった。むしろ、肩の荷がおりた感じがする。負け惜しみではない。もやもやとしたものが吹っ飛んで、またゼロから始められるじゃないかという、すっきりした心境になれた。

中途半端に初マラソンを上回り続けるより、今回、落ちるところまで落ちてしまってよかったのかもしれない。不思議なほど気が楽になった。

それは別にして、大田原での走りの内容には悲しくなった。25キロまでの5キロごとのラップタイムは25分48秒、24分36秒、25分21秒、26分9秒、27分35秒。ここまでは、まあ許せる。

しかし、その後は31分25秒、33分51秒、32分21秒というジョグペース。落ちてしまったところに安住し、闘志が萎え、ペースを上げようという意志がわき起こらなくなった。

そもそも、スタート前から気持ちで負けていた。朝から降っていた雨がスタート時にもやまず、やっとやんだと思ったら風が吹き始め、後半は冷たい逆風で体が冷えた。30キロ過ぎで尿意に耐えられなくなり、コンビニのトイレに駆け込んだ。悪条件に立ち向かう気持ちが弱かった。

大田原マラソンといえば、前半は下り基調、後半は上り基調となることで知られる。「厳しいコースですよ」とよく耳にした。

大田原マラソンのゼッケン

その情報が頭にこびりつき、「厳しいコース」というイメージと闘ってしまったような気がする。そのイメージが私の心を痛めつけ、負の圧力がかかった状態で走り続けた。

何しろ上りは苦手だ。24キロの手前のちょっとした上りで、「厳しいコース」というイメージに襲いかかられると、急に心がへこみ、ペースが落ちて、そのままずるずる後退という感じになった。

振り返ってみると、実際は大した上りではなかった。緩やかに上りが続くが、意識しなければ、それほど気にならない程度のものだ。それなのに事前の情報が頭の中で膨らんでしまっていたため、後半は弱気になり、レースから逃避した。

エネルギージェルを携帯せず、スペシャルドリンクも置かず、一般の給水所のスポーツドリンクだけに頼ったのも失敗だった。レース半ばで腹がへり、体に力が入りにくくなった。軽いハンガーノック状態だったのかもしれない。

敗因をもう一つ書くと、調整もうまくいっていなかった。11月6日に25キロ、12日にも25キロ、そして大会8日前の15日に17キロを走った。15日は10キロ程度にするつもりだったのに、夕焼けがきれいで気分がよくなり、後先考えず、距離を延ばしてしまった。

その疲れが残っていたのだろう。15キロの手前で早くも前腿(もも)の張りを感じ始めた。年齢のせいで回復が遅くなっているというのに、最後の準備が雑すぎた。時間に余裕がなかったこともあり、レースに向けて集中できなかった。

力がないのに、いい加減な態度でレースに臨み、その結果、つらく、むなしく、貧しい走りをしてしまった。

9月のオホーツク網走マラソンではコースの厳しさに打ちのめされた

せめて4時間は切ろうと、最後の3キロほどはペースアップしたが、レース全体としては力を出し切ったとはいえない。

通常、フルマラソンを走ると2日後に体がだるくなるものだが、今回はだるさが訪れなかった。それは、本番でしっかり走らなかったからだろう。後半はほとんどジョグだったのだから、当たり前か。レースから逃げ、力を出そうとせずに終わってしまったことが情けない。

ゴールが42.195キロ地点にあるから、仕方がないので、そこまで走っただけで、「走らされている感」が強かった。「走りたくて仕方がない」という感情の爆発がなかった。ランニングってこういうものではないでしょ、と思う。

心が豊かにならない走りに陥る

大会でも、ふだんのトレーニングでも、心に余裕のない走り、心が豊かにならない走り、深みのない走り、貧しい走りに陥っているような気がする。これではいけない。

そもそも、走るとはどういうことなのか、原点に返って考える必要がある。その答えを求めるうえで、作家・歴史家のレベッカ・ソルニットによる「ウォークス 歩くことの精神史」のページをめくることにしている。「歩くこと」を「走ること」に置き換えて、この書を読むと納得することが多い。

たとえば、ソルニットが取り上げている歴史家のG・M・トレヴェリアン(1876~1962年)の文章に目がいく。

「わたしにはふたりの医者がいる。左脚と右脚である。体と心の調子が狂ったときには(わたしのこの二つの部分はあまりに近所で暮らしているため、いつもお隣に憂鬱をうつしてしまうのだ)、その医者たちを呼びさえすればまた回復するものだと知っている」

走ることで精神のバランスをとる。生きる力を呼び起こす。思考をスムーズにして、深いところに迫っていく。そういうことが、いまの私にできているだろうか。

ゴールが近づくとホッとする(オホーツク網走マラソン)

ソルニットは詩人のウィリアム・ワーズワース(1770~1850年)ほど、歩くことを人生と芸術の要とした者はいない、と書く。

「ほとんど毎日のように歩きながら長い人生を送ったワーズワースにとって、歩くことは世界との出会いの手立てであり、同時に詩を書く方法でもあった」

「ワーズワースにとって、歩くことは移動の様式ではなく存在の様式だった」

いわば歩行を思考のプロセスにしていたわけで、「歩くこと」と「考えること」と「生きること」「存在すること」はつながっているということだろう。「走ること」も「生きること」とつながっているものなのに、私の場合、そこがずれてしまっている。

思想家のヘンリー・D・ソロー(1817~1862年)がワーズワースについて、こう書いているという。

「旅人がワーズワースの使用人に主(あるじ)の書斎はどこか、と尋ねると、彼女は答えました。『こちらはご主人さまの書斎になります、書斎は扉の外にあるのです』と」

「歩くこと」は豊かなことであり、「走ること」も豊かなものであるはずで、本来は汲々(きゅうきゅう)として行うものではない。鬱々として行うものでもない。そんな精神状態では走るフィールドが思索・創造の場にならない。

記録に逆方向からアプローチ

どうも、私の走りは抑圧されたものになっている。「狭い世界」で走らされているような気がする。創造的な行為になっていない。

7月の日光100kmウルトラマラソンでは人生最長の11時間50分を走った

距離を消化するだけになっている。だから、その道を味わえていない。その時間を味わえていない。もっといえば、人生を味わえていない。

それは常に記録を意識して走っているからなのかもしれない。「記録のために」というのが良くないのかもしれない。

この「◎◎のために」というのが、実は何をするにも邪魔になる。この思考がすべての行為をつまらなくする。

体重を落とすため、体力を付けるため、健康のためという目的は走るきっかけになるだろうが、いつまでも「◎◎のために」に従っていると、いずれつまらなくなる。走りたくてたまらないから走り、その結果、体が絞れる、健康になる、というのが理想だろう。

希望の高校、大学に入るために勉強をする。しかし、「◎◎のために」とばかり考えていると、学びがつまらなくなる。深く掘り下げたいのに、それは受験に関係がないという理由で、好奇心をうずめてしまうことがある。

そんなことに嫌気がさしたので、大学に入ってからは「何々のために勉強するのはやめる」と宣言したのを思い出した。「何々のために」という思考に凝り固まって走るのもやめなくてはならない。

ソルニットはソローのこんな言葉も取り上げている。

「きわめて短い距離を偶然歩くことになった場合でも、戻ることのない永遠の冒険のつもりで進むべきです」

子どもたちは広い空間を与えられると、はしゃぎ始める。これがランニングの原点(いわきFCのスポーツ教室)

旅先で未知のルートを走っていると、この先はどうなっているのだろうという好奇心に駆られ、予定では10キロ走るつもりだったのに、15キロにも20キロにも延びてしまうことがある。それは冒険に近いものであり、心がわくわくしてくる。

そのとき、私はまさに走りたくてたまらなくて走っている。どんどん快調になり、足を止めることができなくなる。人間として、動物としてナチュラルな状態にある。そこに恍惚(こうこつ)のときがある。

その恍惚を求めて、純粋な心でナチュラルに走ることによって、結果的に好記録が生まれるとしたら、そんな幸せなことはない。

「記録を狙う」「記録のために走る」のとは逆方向からのアプローチで記録に到達する手法、考え方もあるのではないか。

初マラソンの記録を下回り、私は原点に立たされてしまった。すごろくでいえば、振り出しに戻ってしまった。それは悲しいことではない。さあ、ゼロ地点からナチュラルに走り始めよう。これが難しいんだな。

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