東急の執念実る グーグル日本の渋谷帰還
起業家の街、東京・渋谷ににぎわいが戻りつつある。スタートアップのイベントや交流の場が増え、駅周辺の再開発で米グーグル日本法人も9年ぶりの帰還を決めた。六本木などにお株を奪われていた「ビットバレー」再興の仕掛け役は、渋谷の「大家」である東京急行電鉄。ソフトとハードの両面で、渋谷の地を未来の有力企業が巣立つインキュベーター(ふ化器)に仕立て上げられるか。
六本木ヒルズから再移転

「渋谷がますます熱くなる」「また渋谷に戻ろうかな」――。11月17日、米グーグルが日本法人本社を2019年に渋谷に再移転すると発表。交流サイト(SNS)は起業家たちのコメントで盛り上がった。
グーグルが01年に最初に日本法人を構えたのが渋谷のセルリアンタワー。その後、手狭になったため10年に六本木ヒルズ(東京・港)に移転していた。今回、帰郷先は東急が渋谷駅南部で建設中の「渋谷ストリーム」だ。22フロアのオフィス分すべてを使い現在の従業員(1300人)の2倍を収容できる。
「シリコンバレーのような日本におけるイノベーションの中心」。グーグルの親会社、米アルファベットのルース・ポラット上級副社長兼最高財務責任者(CFO)は会見で渋谷をこう持ち上げた。会見場に駆けつけた東急電鉄の野本弘文社長は「渋谷は独自の文化を創ってきた成長する街」と歓迎した。
東急には苦い過去がある。渋谷はネットバブルの00年前後、起業家が集う「ビットバレー」(渋い=ビター、谷=バレー)として一世を風靡した。しかし「急成長するネット企業を収容できるビルがなく、グーグルやアマゾンジャパンなどが渋谷を去ってしまった」(大友教央・都市創造本部沿線資産営業部統括部長)。東急はグーグルに六本木移転後も繰り返し渋谷への帰還を提案していた。7年越しの悲願達成となる。
いま、東急の「渋谷ヒカリエ」にはDeNAが入居し、8階のコワーキングスペース「MOV」では朝から起業家らが仕事する風景がみられる。進行中の渋谷駅周辺の再開発が終わると「就業人口が2万~2.5万人増え、渋谷の面的な広がりが進む」(大友氏)。
渋谷創業のミクシィは11月、3カ所に分散したオフィスを19年に開業する駅直結ビル「渋谷スクランブルスクエア」に集約すると決めた。この先、桜丘町や神泉のアパートで起業→道玄坂の雑居ビルなどを転居→東急系のオフィスビルに入居といった具合に「渋谷で育つ出世魚スタートアップ」も生まれそうだ。
その準備も始まっている。
「グーグルの移転が発表され、もやもやが晴れました」。17日夕、ヒカリエで開かれていた起業家らのイベント「テッククランチ東京」。東急のスタートアップ連携のキーマン、都市創造本部事業統括部課長補佐、加藤由将氏が短いあいさつをしていた。
その風貌から社内で「プリンス」と呼ばれる加藤氏。04年の入社後、青山学院大学大学院のMBAで起業家論を学び、「自分で事業を立ち上げるより、プラットフォームをつくりたい」と感じた。「イノベーションは外から持ってくる」と脱自前主義を唱え、人工知能(AI)など先端的なスタートアップとの連携を重視する。
デジタル版「東急・五島モデル」
加藤氏は15年にスタートアップと組み新事業を育成する「東急アクセラレートプログラム(TAP)」を立ち上げた。設立5年以内の企業からビジネスプランを募集し、渋谷や東急沿線の価値向上につながる事業を共創するのが狙いだ。

TAPは加藤氏ら事務局2人のほか、東急グループの25人が関わる。1~2週間に1度のペースで議論し、各事業部やグループ会社とスタートアップとの連携を円滑にする。
17年の第3回で最優秀賞「東急賞」を獲得したのは16年7月設立のWAmazing(ワメイジング、東京・港)。インバウンド(訪日外国人)向けの無料SIMを配り、アプリ経由の宿泊や物販の手数料で収益を上げるモデルだ。
「外国人旅行者を東急の空の沿線住民にする」。加藤史子社長は10月の最終審査で同社のサービスが東急のホテルや各種施設に外国人を呼び込む入り口になると訴え、高い評価を得た。
加藤社長は東急がTAPについて上から目線ではなく、「『僕たちから何をして欲しいですか』と聞かれたことが印象的」と話す。インバウンドは扱う領域が広いが連携においても、「電鉄だけでなく、東急エージェンシーや仙台空港との協議の時間も割いてくれた」(加藤社長)。
東急はTAPを通じて出資もする。第2回で東急賞を受賞したインバウンド向けのガイドマッチングサイトを運営するHuber.(ハバー、神奈川県鎌倉市)には16年に少額出資し、東急の拠点でもガイドのマッチングを手がける。
ただ、囲い込みはしない。実はワメイジングとハバーはJR東日本の同様のプログラムでも優秀賞を獲得したが、これに乗じて「東急・JR東・スタートアップ連合」でインバウンドの誘客に取り込むことになった。
かつて東急電鉄は「強盗慶太」と異名をとった買収王、五島慶太氏を事実上の創業者として戦前戦後を通じ、沿線に百貨店、文化施設、住宅などを整備し一大王国を築いた。
五島氏は強引な企業買収でグループを大きくする一方、「顧客を自社で囲い込むのではなく、顧客の利便性を追求する街づくり」で人と企業を呼び込み、街に活気を生み出した。今も住みたい街で上位に来る沿線のブランド価値はその成果だ。
デジタル時代の「五島モデル」は目的は同じだが手法が違う。企業を囲い込まず、顧客の利便性のために一緒に新しいサービスを生み出すプラットフォーム戦略。そのカギを握るのが多様性だ。
「渋谷はセンター街などに観光のインバウンドは来るが、ビジネスのインバウンドがない」。東急の加藤氏は現状の課題をふまえ、多様性を磨く必要性を説く。
グーグル帰還を契機に国際的なビジネス交流が活発になれば、スタートアップにとっても海外市場がより身近になる。起業環境の魅力を競う都市間競争でSHIBUYAが世界ブランドになるための挑戦が続く。
(企業報道部 加藤貴行)
[日経産業新聞 2017年11月28日付]