大和と映画で呉を再興 NPO・くれ街復活ビジョン代表理事・大年健二さん(語る ひと・まち・産業)
観光回遊のしかけつくる

2017/11/22 12:00
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■かつての軍港都市で戦艦大和が生まれた広島県呉市は人口減や高齢化が進む。NPO・くれ街復活ビジョンの大年健二代表理事(72)は同市で地元信用金庫の理事長時代に同NPOを設立した。

日銀から呉信用金庫に転職したのは1993年。約30年ぶりに帰ったときの生まれ故郷の印象は『ずいぶん発展したなあ』だったが、まもなくバブル経済崩壊で衰退していく様を目の当たりにした。信金業務でも高齢者が増え預金は増えても融資が伸びない。人口減、産業衰退で空き家、空き店舗が増加した」

 おおとし・けんじ 1945年広島県呉市生まれ。早大商卒、68年に日本銀行に入行。93年に呉信用金庫入庫、副理事長。2000年から13年まで理事長を務めた。10年にNPO法人・くれ街復活ビジョンを設立、代表理事。

おおとし・けんじ 1945年広島県呉市生まれ。早大商卒、68年に日本銀行に入行。93年に呉信用金庫入庫、副理事長。2000年から13年まで理事長を務めた。10年にNPO法人・くれ街復活ビジョンを設立、代表理事。

「2005年にJR呉駅近くに『大和ミュージアム』が完成した。年間100万人前後の来場者がいるが呉の街中ではその実感が全くなかった。滞在型観光の拠点が必要だと痛感した。空き家を宿泊施設にした『石段の家』、中心部商店街の空き店舗を改装した展示施設『ヤマトギャラリー零』を運営するためにNPO法人を設立した」

「石段の家は呉・両城地区の急斜面の上にある。呉を訪れた人たちにこの坂の上から朝と夜の呉の街、海を眺めてもらいたかった。ヤマトギャラリーは大和ミュージアム名誉館長の松本零士氏とその作品『宇宙戦艦ヤマト』をテーマにした展示施設。大和ミュージアムを訪れた人たちが街中を回遊するためのしかけだ」

■呉を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」の大ヒットといった追い風が吹く。映画の制作時は監督の現地調査にも同行し、公開前には支援する会を発足させた。

「映画化の話の前から原作は読んでいた。主人公の『すず』さんは母と同時代の人だったこともあり、親近感を感じた。戦艦大和の建造技術は戦後日本の産業発展に貢献したハード面の遺産だ。一方、戦争という非日常の中を、1人の女性が日々の生活を工夫し、柔軟に懸命に生きる姿を描いたこの作品は、現代の私たちの心や精神につながるソフト面の遺産だと感じた」

「6年ほど前に映画化の話が来て、片渕須直監督の現地調査案内もした。当時の呉を再現するという徹底的な姿勢に感銘を受けた。NPOも映画を盛り上げようと『この世界の片隅にを支援する呉・広島の会』を発足。クラウドファンディングの出資者にすずさんからの『お礼はがき』を発送した。チラシやポスター作りにも取り組んだ」

■課題は「このセカ」ヒットをどう地域活性化に結びつけるかだ。呉の街中回遊をさらに促す拠点作りの必要性を訴える。

「この世界の片隅に」関連の展示物も充実している(ヤマトギャラリー零)

「この世界の片隅に」関連の展示物も充実している(ヤマトギャラリー零)

「映画がヒットし全国から聖地巡礼にくる人が増えている。一過性で終わらせないため、記念館など観光客が足を止める新たな拠点が必要だ。今はヤマトギャラリーで巡礼案内所をやっているが、呉の官民全体が行動する時ではないか」

「例えば市が管理している歴史的建造物を記念館として活用するのも手だ。戦前・戦後の街を残すだけでなく後世に伝えるために整備することも大切だ。巡礼に来た人が記念に買って帰るグッズも工夫のしがいがある。おもてなしの心と技を持って知恵を絞る地道な取り組みが、人びとの心の片隅に呉という街を置いてもらうことにつながる」

軍港や産業の歴史紹介

《一言メモ》1903年に海軍工廠(しょう)が設置された呉は戦前、戦艦大和を建造した東洋一の軍港として栄えた。「この世界の片隅に」の主人公・すずの義父も海軍工廠で働く人物として描かれ、当時の呉の人びとの暮らしにも根ざした存在だったことがうかがえる。

戦争末期には激しい空襲にも見舞われた。戦後は荒廃した街を立て直すべく、戦艦の建造技術を生かした造船業や製造業などの産業都市として発展した。

戦前の日本技術の結晶である戦艦大和を軸に、明治以降の呉の歴史、それを支えた造船・製鋼などの科学技術の発展を紹介する施設「大和ミュージアム」が2005年に開館した。現在、大和ミュージアムでは呉市が実施した海底に沈む大和の潜水調査の映像や資料なども常設展とは別に展示されている。

(広島支局 佐藤亜美)

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