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マイクロソフト、電脳メガネの野望、MRで攻勢

米マイクロソフト(MS)が現実世界と仮想世界を融合させた「複合現実(Mixed Reality=MR)」と呼ばれる新技術で攻勢をかけている。新車開発など多くの産業の現場を変貌させる可能性があり日本で先駆的な導入例が相次ぐ。同社にとってMRはさらなる成長の起爆剤になるのか。

「マイクロソフト全体を見渡してもMRでは日本が進んでいる」――。ロックミュージシャンのような長髪と無精ひげがトレードマークで、MR戦略を主導するアレックス・キップマン氏はこう語る。

キップマン氏はゲーム機「Xbox」を大ヒットさせた専用コントローラー「キネクト」を開発したエース技術者だ。10年前にMRを構想し当時会長だったビル・ゲイツ氏に直談判して開発を任された。自ら手掛けた専用のサングラス型端末「ホロレンズ」を2016年から発売。MR普及に向け世界を飛び回る。

キップマン氏が「同志」と呼ぶのが小柳建設(新潟県三条市)の小柳卓蔵社長。売上高が約100億円、従業員数は約350人という中堅だが、世界の建設業界を驚かすMR技術を使うからだ。

本店のいす1つない会議室では2人の技術者が装着したホロレンズで橋梁の完成後の3次元(3D)映像を様々な角度から見られる。画面に浮かぶ工程表を手でクリックすると、着工後の橋梁の姿を時系列で次々に見られるから便利だ。

10月から画面に加わったのが青白い姿のアバターだ。アバターは遠隔地にいるホロレンズの装着者で、他の事業所の技術者や発注元の自治体職員など何人も参加できる。アバターが「実物大で見ましょうか」と話すと、参加者の画面は橋の上に切り替わり実際に歩いて橋の幅などが体感できる。「手すりをもっと高く」「舗装には小型重機の方が使いやすい」意見を交わし設計変更などができる。

小柳社長がMRを採用したのは「仕事の生産性を大幅に高めて社員の負担を軽減できる」からだ。多くの社員は重い資料を持ち各地の自治体を走り回ったが、MRで働き方が一変する。日本マイクロソフトと設計データを3D映像としてホロレンズで見られるシステムを開発した。「MR技術で建設業のイメージをよくしたい」(小柳社長)という。

小柳建設と似たマイクロソフトのMR技術を採用するのが米フォード・モーターだ。自動車の開発現場では新型車のモックアップのフロント部分に、青色にした3D映像を重ねて表示する。ホロレンズを装着した技術者は簡単な操作で3D映像のヘッドランプを大きくしたり、ボンネットの形を変えたり様々なことができる。技術的には背景を変えてデザインが街並みに映えるかということも確認できる。

 キップマン氏はMRについて「現実世界とデジタル世界の境界線は消滅する」と強調する。

MR戦略を主導するキップマン氏

MRは昨年、大ブームになったスマートフォン(スマホ)ゲーム「ポケモンGO」のようなAR(拡張現実)技術と似ている。ゲームではスマホ画面に映る実際の風景にキャラクターの3D映像が登場する。

だが、MRではホロレンズのセンサーが空間と手の動きをとらえて映像を操作できる。例えば、実際のベンチに座ったキャラクターの3D映像に歩いて近づき持ち上げて別のベンチに座らせることができる。従来のARを飛躍的に進化させた技術ゆえ、幅広いビジネスの用途で利用できる。

例えば、不動産業界ではMR技術の採用が今後急速に増えそうだ。野村不動産が今年夏、ホロレンズを使い、顧客に東京都江東区で19年1月に完成させる大型マンションを実物大の寸法で見せた。日本マイクロソフトによれば、これは世界初の試みだ。

建設地が更地でも、ホロレンズを装着すれば、実寸のマンションの映像がいきなり現れる。周辺の建物の高さと比べたり、日当たりも確認したりできる。見学者から大好評だった。

医療分野でも日本は先頭を走る。東京都品川区にある稲波脊椎・関節病院ではホロレンズをかけた執刀医が手術対象の骨の3D映像に触れたりしながら手術の手順を確認している。3D映像はCT画像などを活用し制作できる。このシステムは医師の手術トレーニングシステムとしてMRに強いホロラボ(東京・品川)が開発した。

日本マイクロソフトの上田欣典シニアプロダクトマネージャーは「CT画像の保有数で言えば日本は世界一。MRの良さをしっかりと生かせるはず」と指摘する。

日本では自動車を筆頭に多くの製造業が強さを発揮し、医療のように世界をリードする分野も数え切れない。あらゆる現場を革新するMRの先駆的な事例を次々に生み出せば、マイクロソフトの世界戦略に大きな弾みがつく。

米マイクロソフト(MS)はMR技術で新たな成長神話を思い描くが、そこでは日本法人の日本マイクロソフトが一段と重要な役割を果たすことになりそうだ。日本では2017年1月に専用のサングラス型端末「ホロレンズ」が発売され、MR分野の開発者が急速に増えており、実際にシステムとして利用を拡大するには開発環境の整備などが必要だからだ。

9月17日、3連休中で大型台風が直撃したが、東京の品川駅に近い日本マイクロソフトの本社に多くの技術者が集まった。開かれたのはホロレンズでアプリなどを開発する日本の熱心な技術者「ホロレンジャー」らのイベントだ。

 MR開発を主導するマイクロソフトのアレックス・キップマン氏は5月にホロレンジャーらと交流し、「想像を超える熱狂だ」と喜んだ。同氏が日本市場への思い入れが強い一つの理由だ。

イベントはホロレンジャーが自発的に開催するもので、日本マイクロソフトは本社を会場として利用してもらう形で支援する。技術者たちが自ら作ったMRのアプリや裏技などを公開して楽しむ同好会のようなものだが、こうした場所だから面白い新技術が生まれる可能性がある。

日本の熱心な開発者は各地のイベントに参加。5月にはキップマン氏(中央)も登場(東京都港区)

今回のイベントでは80人のホロレンジャーらが参加した。イベントを企画したホロラボ(東京・品川)の中村薫氏は「定員を超える応募が続いている」と話す。ホロラボはMRを使いたい企業に対しコンテンツを開発し提供する企業だ。

システム開発大手のTISで戦略技術センター上級主任をつとめる森真吾氏も9月のイベントに参加した。スマホでの決済システム開発など豊富な経験を持つが、「MRを初体験した時は大きな衝撃を受けた」という。

例えば、ホロラボが作ったデモコンテンツだ。森氏がホロレンズを装着して3次元(3D)映像のホログラムのボールを床に落とす動作をしたら、目の前の本当の机の上でぽとりと止まった。これこそ、マイクロソフトのMR技術ならではの体験だ。従来のAR(拡張現実)技術ではボールを自らの動作で落としたり、止めたりできない。「どういう使い方ができるのか想像できない」と森氏が熱く語るほど異次元の世界の技術だ。

ホロレンズは開発者を対象に33万円を超える値段で販売している。それでも予約開始時には日本マイクロソフトのオンラインストアにアクセスが殺到し予約できない状況になったほどだ。

ただ、マイクロソフトが描くように基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」上で動くMRのアプリが急速に増えて製造業大手など多くの顧客が採用するには課題も多い。

中村氏は「MRのコンテンツを企業が自社で作ることは簡単ではない。普及には開発手法をよく知る専門企業が増えることが必要だ」と語る。マイクロソフトは「ユニバーサル・ウィンドウズ・プラットフォーム」(UWP)と呼ぶ開発環境を提供しているが、使いこなすのは簡単ではない。3Dグラフィック作成ソフト「ユニティ」も扱えなければならず何より従来のソフト開発にはない現実世界の空間を認識させるノウハウも必要だ。

それだけにマイクロソフトではMRのアプリやコンテンツの作成ができる技術者育成のパートナープログラムがある。1社5人程度の技術者らが米国の本社で、MRの基本的な仕組みやコンテンツの作り方を一週間みっちり学ぶ。参加する条件の1つが顧客とのプロジェクトを持ち込むことだ。マイクロソフトのMR技術者と一緒に開発することで実践的に学ぶことができるわけだ。

日本からはホロラボのほか博報堂やITベンチャーのネクストスケープ(東京・新宿)など6社がパートナーに認定された。既に顧客企業に対してコンテンツを提供したりしている。こうした企業をどれだけ短期間で育てられるかが重要だ。

 MRの普及では専用端末のホロレンズの改良も必要になりそうだ、例えば、金融機関の窓口業務やホテルのフロントなど幅広いサービス業で使う場合、現在のホロレンズではデザイン性はもちろん、重さや視野角が問題になるとされる。

また、米フェイスブックなど強力なライバルもARや仮想現実(VR)といった分野で大型買収を含めて攻勢に出ており、競争は一段と激しくなっている。

最大のライバルと目される米グーグルは、スマホに代わる身近なネット端末として期待されつつ販売を中止していたAR端末「グーグルグラス」を今夏から法人向けとして復活させた。もともと個人利用を狙っていたが、写真撮影機能がプライバシーを侵害するとして問題となった。今回はマイクロソフトのように法人顧客を狙っている。

スマホの画面にVR映像を表示できる規格を策定。サムスンの「ギャラクシーS8」など販売台数の多いスマホでも採用された。パソコンと接続しなくてもVR映像を楽しめる新型ヘッドマウントディスプレー(HMD)も開発中で、得意のウィンドウズ外しに動く。

フェイスブックも20億ドル(約2300億円)を投じてオキュラスVRを買収した。18年初頭に低価格のHMD「オキュラス ゴー」を発売する計画だ。狙いは10億人規模で個人ユーザーを取り込むことだ。すでに米ピクサー・アニメーション・スタジオがソフトを出すことを決めるなどコンテンツの充実でも手を打っている。

マイクロソフトのMR戦略では個人向けの娯楽分野も専用のVR端末を展開して狙う。VR空間で超巨大画面で映画コンテンツを見たりチャットを楽しんだりと競合にはない魅力を詰め込んだ。

専用のVR端末をパソコンにつなぐだけで、個人が様々なネット体験を楽しめるMRの部屋に入り込む

同社の業績は収益源のクラウドサービスが急拡大して絶好調だ。17年7~9月期も売上高は前年同期比12%増の245億ドルで、営業利益は15%増の77億ドルだった。同社のサティア・ナデラ最高経営責任者(CEO)が「2年前の目標を達成した」と胸を張ったのは、四半期ベースでクラウドの売り上げが200億ドルを超えたことだった。

マイクロソフトにとって重要なのは競合他社を上回るぺースで成長を続けることだ。そのためには無限の可能性を秘めたMRという新技術を世界に広げて、クラウドビジネスを大きく飛躍させることが欠かせない。

「崖から飛び降りるんだ」というのがキップマン氏の口癖だ。これまでウィンドウズで築いた顧客基盤やパートナー企業との関係は強みだが、MRではそれに安住せず、捨て身の覚悟で挑む必要があるとの意味だ。MR戦略が成功しなければ、マイクロソフトが今後も勝者であり続けるという保証はない。

(宮住達朗)

[日経産業新聞 11月17日付]

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